網膜を刺すような、目が冴えるほど明るい色彩。無数に増殖する円と、それらを繋ぐ執拗なまでの線の奔流。具体美術という前衛芸術グループの一人である田中敦子のキャンバスから立ち上がってくるのは、電気信号のような無機質な響きではなく、もっと湿り気を帯びた、生命の生々しい震えだった。
「これは、男女の付き合いの履歴だ」美術史的な知識が入り込む隙もないほど、不覚にもそう思ってしまった。絡まり合い、断絶し、それでも回路のように繋がろうとするエネルギー。背景にある「電気服」や「回路図」という着想を知ったのは、鑑賞後のことだ。ただその「毒々しさ」に当てられ、自分の中にある乏しい経験のストックから、最も個人的で、泥臭い情念の記憶を引きずり出されていた。

私が感じたこの「情念」は、果たして作品そのものが放つ光なのか。それとも、私が無意識に持ち込んだ「女性作家」という色眼鏡が投影した幻影だったのか。
現在、東京国立近代美術館へと巡回している「アンチ・アクション」展。 世界的にも男性優位の環境下で歴史の隅へと追いやられようとした女性たちの、苛烈なまでの作品との格闘が記録されていた。
「女流」という壁:歴史が作ったフィルターの正体

なぜ私は、田中敦子の作品に「情念」や「性」を読み取ろうとしてしまったのか。おそらく本展の開催概要に引っ張られていたのだろう。
1950年代、美術界を席巻したのは「アンフォルメル*」や「アクション・ペインティング」という激しい奔流だった。ジャクソン・ポロックに象徴される、キャンバスに身体をぶつけるような激しい行為。それは長らく、ヨーロッパ系異性愛主義的な「男性」の特権的な表現として、歴史に刻まれてきた。
【補足】アンフォルメル(非定型の芸術)
1950年代、戦後の荒廃した空気の中で、フランスを中心に起こった美術運動。
これまでの理性的で整然とした絵画を否定し、作家の激しい感情や身体的エネルギーを、キャンバスに直接叩きつけるようなスタイルだ。 厚く塗りたくられた絵具、ひっかき傷、殴り書きのような線。 「形」をなさないその表現は、提唱者ミシェル・タピエの来日によって日本にも上陸し、具体美術協会の面々を含め、当時の若手作家たちに爆発的な影響を与えた。
当時のメディアもまた、その「男性的なアクション」を基準に、女性作家たちを評価していたようだ。 本展で紹介されていた当時のコラム、1950年代の『芸術新潮』の批評には、以下のような表現がみたれた。
「いかにも、女流画家らしい感覚だ」 「女性の画家としてはめずらしく立体的な領域で仕事をする」
『芸術新潮』巻頭コーナー「期待される新人」より 1952年11月号,1956年5月号
作品批評に「女性」というフィルターを一枚挟み、その枠からはみ出すか、あるいは枠に収まっているかを判定する視線だ。現在の感覚からすると必要ないようにも思えるが、1950年代というとジェンダーに関する認識は大きく違ったのだろう。世間はそこに「女らしさ」や「情念」を見出そうとする。
私が抱いた「男女の履歴」という感想さえ、実は歴史が何層にも重ねてきた「女性作家=個人的な愛憎を描くもの」という呪縛的なフィルターに、無意識のうちに加担していたのではないか。そんな、己の視線の浅はかさを突きつけられるような感覚だった。
同様に展示されていた彼女のドローイングには、いくつもの円が青と黄色の線で繋がっている。まるで組織図のようであり、円1つ1つが命ある人間を象徴しているのではないかなどと感じてしまっていたのだ。
多田美波との共鳴:ダイレクトに世界を繋ぐ意志

同展覧会には他にも様々なアーテイストの展示がなされていた。その中でも、日本の戦後美術を代表する多田美波の作品が目に留まる。多田は特に「光」を素材として捉え、ガラスや金属、アクリルを用いた「光造形(Lighting Sculpture)」の第一人者として知られていた。初期は油絵を描いていたが、1950年代後半から、本展のような立体作品を手掛けていた。
多田の作品は、金属や鏡面が周囲の風景を映し出し、空間そのものと共鳴し合っている。そこには田中敦子の作品にあった「毒々しさ」とは対照的な、硬質で洗練された静寂がある。
田中敦子がエナメル塗料や回路図という「物質」を通して、世界との新たな繋がりを強引なまでの線で描き出したように、多田美波もまた、反射という現象を用いて彫刻と空間を繋ぎ直そうとしているのだ。
具体美術は物質を変貌しない

田中敦子は、具体美術協会の作家だった。 具体の創設者・吉原治良が掲げた「物質の個性を殺さない」「物質が物質のままでその叫びをあげる」という物質主義。彼女がエナメル塗料を用い、電気回路を思わせる無数の線を描いたのは、そこに「男女の情念」や「人間関係のドロドロとしたもの」を仮託するためでは決してなかったはずだ。
彼女が見つめていたのは、人工的な塗料の流動性であり、剥き出しの電気信号が織りなす現代的な「環境」そのものだった。
具体美術が破壊した「絵画」の概念
具体のリーダー・吉原治良が掲げた「人の真似をするな」という言葉は、単なるオリジナリティの追求ではなく、「既存の美術のシステムからの脱却」を意味していた。額縁や筆、キャンバス、静止した空間といったかつてのフォーマットをなぞるではなく、そこから飛び出していく気概がある。
「具体 GUTAI」という名には「抽象」の反対語としての機能がある。「具体」にはイメージ(嘘)ではなく物質そのもの(真実)を提示したいという思いがあった。
田中敦子:感覚を「回路」として視覚化した前衛芸術家

田中敦子は、具体のメンバーの中でも特に「非物質的」な要素(音、光、電気、時間)を扱った作家だ。彼女の活動は、現代のメディア・アートやインスタレーションの源流として世界中で研究されており、オノ・ヨーコ、草間彌生と並んで広く知られている。
田中は具体を離脱した後も、生涯にわたり「円と線」の絵画を描き続けた。 これは彼女の代名詞ともいえる『電気服』の配線図と電球を平面に写し取ったものといえるだろう。
それなのに、私はそこに「男女の履歴」を見てしまった。 作品を前にして、作家が意図した「冷徹な回路」を、私は勝手に自分の「熱い記憶」へと引き寄せて解釈したのだ。

アンフォルメル(情熱的な抽象)などの影響を受けつつ、知的な構成に基づいた抽象画を手がけた画家
戦後日本美術の先駆者たち:再評価される女性アーティストの系譜

ジョセフ・コスース『分類学(応用)#3』1995年 シルクスクリーン
「アンチ・アクション」という、女性作家にフォーカスした展覧会。 会場に入る前に無意識に期待していたのかもしれない。そこには何か「女性ならではの身体性」や「セクシャルな葛藤」が孕まれているのではないか、と。そんな、歴史が幾度も繰り返してきたステレオタイプな期待。
だが、彼女たちの作品は、そんな私の「浅はかな期待」を軽々と、冷ややかに突き放してみせる。
彼女たちが格闘していたのは、「女性としての悩み」などという矮小なものではなく、もっと根源的な、「物質という他者とどう向き合うか」という孤独な問いだった。
しかし、こうも思うのだ。 私が感じたあの「毒々しさ」や「生々しさ」は、単なる私の誤読だったのだろうか。 むしろ、具体美術の狙い通り、彼女が物質の持つ力をあまりに純粋に引き出しすぎてしまったがゆえに、そのエネルギーが「回路」という制御を突き破り、観る者の最も脆い記憶にダイレクトに触れてしまったのではないか。
それこそが、歴史やジェンダーというフィルターを剥ぎ取った後に残る、表現の真の姿なのかもしれない。私が感じたあの恥ずかしさは、作品が放つ剥き出しの生命力に当てられた結果だろう。


コメント