ブルックリン博物館所蔵 特別展 古代エジプト【静岡県立美術館】

展覧会レポート

古代エジプトと聞いて、まず思い浮かぶのは何でしょうか? ピラミッド、スフィンクス、黄金のマスク——いずれも壮大で神秘的なイメージばかり。でも、そこに暮らしていた「ふつうの人々」の姿は、意外と見えてこないものです。

静岡県立美術館で開催中の《ブルックリン博物館所蔵 特別展 古代エジプト》は、そんな常識をひっくり返すような体験を提供してくれる展覧会です。監修は、考古学者でありYouTubeでも人気の河江肖剰(かわえ・ゆきのり)さん。神殿や王墓ではなく、“日常”に光を当てた展示構成が見どころです。

学芸員・新田さんの解説とともに巡ったこの展覧会は、いわば「古代エジプト人のリアルな暮らしに迫る旅」。数千年の時を超えてなお、私たちと共鳴する“祈り”や“生活の工夫”がそこにありました。今回はその体験を、章立てでレポートしていきます。

静岡県立美術館の特徴とアクセス|特別展 古代エジプトの開催地

静岡県立美術館は、静岡市の緑豊かな日本平のふもとに位置する、美しい自然と調和した美術館です。広々とした敷地に立つモダンな建築で訪れるだけでも心が整うような静けさに包まれています。

実は美術館の敷地内には彫刻ブロムナードと題した彫刻作品が点在しています。この地に訪れるだけで、贅沢な時間を過ごすことができますね。

増田幸雄《風に吹かれて》

館内には《考える人》をはじめとするロダン作品を常設展示する「ロダン館」も併設されており、国内外の彫刻ファンにも根強い人気を誇ります。さらに、企画展はジャンルにとらわれず、古典から現代まで幅広いテーマで構成されており、静岡県内外から多くの来館者を集めています。

舟越保武《杏》

古代エジプト展とは?ブルックリン美術館所蔵品が来日!

この展覧会は、ブルックリン博物館が所蔵する古代エジプトの名品約150点を中心に構成されています(公式サイト)。王族の副葬品から神々の像、一般家庭で使われていた生活道具まで、多彩な視点から「古代エジプトに生きた人々の姿」を描き出しています。

注目すべきは、これまでのような「巨大な石像」や「神殿中心」のエジプト展とは一線を画し、生活感あふれる遺物が多数紹介されていること。映像や演出も丁寧に作り込まれており、まるでタイムトラベルして古代の暮らしを垣間見ているような臨場感がありました。

1Stage/古代エジプト人の謎を解け!

《二カーラーとその家族の像》古王国時代・第5王朝後期、前2455~前2350年頃

展覧会の冒頭は、細かく作られた生活道具や装身具、宗教的な小像など、いわば“人間の痕跡”がぎゅっと詰まったエリア。ガイドしてくださった学芸員の新田さんいわく、これまで発掘の中心だったのは神殿やピラミッドといった巨大建築。しかし「ピラミッド・タウン」などの発見によって、ようやく古代エジプト人のリアルな生活風景が見えてきたのだそうです。

《習書用の蝋板》ローマ時代、後4世紀《下絵が描かれたオストラコン》新王国時代・第18王朝、ハトシェプストおよびトトメス3世治世、前1479~前1425年頃、など

古代エジプト人の書き物の奇跡がわかる展示物はとても興味深かったです。小さな黒板のような《蝋板》や《葦》という植物の茎で作られたインクで書く筆記具(写真左端)が展示されていました。白い石片(オストラコン)には鳥や人の下絵が残っていました。

《椰子のサンダル》ローマ時代、後3世紀〜4世紀
《カモ形の化粧皿》新王国時代・第18王朝後期、前1336~前1292年頃

数千年前も私たちと同じように、祈り、食べ、眠り、装っていた人々の姿。展示されている品々は、多くが上流階級が使用していたものとみられ、また多くが副葬品ではありますが、地域も時代も異なるものが一堂に集められていて、エジプト文明の多層的な広がりが感じられます。

展示のあちこちにあったトリビア・ボード

また、従来の古代エジプト展と大きくことなるのが、バランスのとれたビジュアル構成でした。展示空間では映像や解説アニメーション古代エジプトに関するトリビアが書かれたボードが盛り沢山でした。
作品に対する直接のキャプションだけでない、古代の生活をリアルに想像しえる要素を取り入れています。

古代エジプト展と想像すると、巨大な石彫が展示されているイメージがありますが、今回はより多角的に古代エジプトを知れる展覧会でした。

古代エジプトの時代区分を整理しよう

古代エジプト年表

古王朝やら新王朝などいろいろ出てきましたね。私のチャンネルでは西洋美術を扱うことが多く、古代エジプトはあまり触れてこなかったため、ここで少しだけ整理しましょう。

古代エジプトとひとことで言っても、その歴史はじつに3000年以上。日本の歴史(弥生時代〜令和)をはるかにしのぐスケールで続いてきた文明です。展覧会では、「先王朝時代」から「プトレマイオス朝」、さらに「ローマ時代」までの長大な時間をカバーしていました。

時代名年代(紀元前〜)主な出来事・特徴
先王朝時代〜前3000年頃エジプト統一前。神殿や文字の原型が生まれる。
初期王朝時代前3000〜前2686年上下エジプトの統一。王権と文字文化の誕生。
古王国時代前2686〜前2181年ピラミッドの時代。クフ王など。
第1中間期前2181〜前2055年分裂と混乱。地方勢力の台頭。
中王国時代前2055〜前1650年再統一、官僚制度が発達。芸術も洗練。
第2中間期前1650〜前1550年外敵ヒクソスが支配。馬と戦車の導入。
新王国時代前1550〜前1070年最盛期。ツタンカーメンやラムセス2世の時代。
第3中間期前1070〜前664年王権の弱体化。神官や異民族の影響。
末期王朝時代前664〜前332年最後のエジプト人王朝。ペルシャの支配も。
プトレマイオス朝前332〜前30年ギリシャ系王朝。クレオパトラ7世の時代。
ローマ支配時代前30〜4世紀頃ローマの属州。イシス信仰などがローマにも広がる。

美術ファンとしては、4つの時代がきになるところ。新王国時代はツタンカーメンラムセス2世といった有名なファラオたちが登場し、エジプトが軍事・政治・文化すべてにおいて最盛期を迎えた時代でもあります。

2Stage/ファラオの実像を解明せよ!

《王の頭部》古王国時代・第3王朝後期〜第4王朝初期、前2650^前2600年頃


「ファラオ(Pharaoh)」とは、古代エジプトにおける王の称号であり、単なる国家の支配者ではなく、神の血を引く存在、あるいは神の代理人とされていました。
2stageでは3000年の王朝史を通じて活躍した12人の王が登場します。

最初に登場したのは知られている中では最古の、現存するエジプト王の頭部。第3王朝から第4王朝のものと推定されていますが、この時期はピラミッドなど巨大な石造建造物が初めて建立された時期です。エジプトといえばのピラミッド。

《クフ王の名前が刻まれた指輪》末期王朝時代・第26^27王朝、前664~前404年
《イムヘテプの小像》末期王朝時代〜プトレマイオス朝時代・第30王朝あるいはそれ以降、前381~前30年

クフ王といえば、ギザの大ピラミッドを建造した第4王朝のファラオ。かつてはクフ王の名前が掘られた刻印入りの指輪は、クフ王の治世の2000年後にクフ王の祭祀を務めていた人物が身につけていたとされます。小さいのに存在感のある展示品でした。

中央の小像は、建築家であり彫刻家の像なのですが、ジェセル王の階段ピラミッドやその周辺の石造建築を担当した人物です。王ではないですが、あまりに尊敬をあつめたため、神格化され、像になったのだとか!かっこいいですね。
イムヘテプはとても博識で、数世紀にわたって古代エジプト人の尊敬を集めていました。

《ひざまづくペピ1世の小像》古王朝時代・第6王朝、ペピ1世治世、前2338~前2298年

ファラオと言われ想像するのがこのシマシマの頭巾
エジプト旅行に行くとあちこちにお土産品として売ってるみたいです笑、ちょっとほしいな。

ペピ1世の小像も、そんなネメス頭巾らしきものを身に着けていました。古代エジプトの王はマアト(秩序・正義・真理)をもたらす統治者であり、王が身につける装束にも特別な意味があったというのです。

この頭巾、ファラオの権威と血からを表す大切なシンボルなんですね。

《アメン・ラー神またはアメンヘテプ3世の像》新王朝時代・第18王朝、アメンヘテプ3世治世、前1390~前1353年頃

長い付け髭?をした像もありました。王の神聖さを象徴する重要な役割を担っています。

アメンヘテプ3世とも考えられていますが、じつはこの像、かつて大きな羽がついていたのだとか。そのため太陽神ラーの像との関連もみられるそうです。

胸元には「アメン(太陽神)・ラー神に愛されたアメンヘテプ3世」とあり、これが神の化身としての王を表現している、という可能性も示唆されています。

《ハヤブサの棺》プトレマイオス朝時代、前305〜前30年

ハヤブサの像もありました!猫やら犬やらフンコロガシやら。古代エジプトは動物がたくさん登場してたのしいですね。

古代エジプトでは、ハヤブサは空を飛ぶ強く鋭い目を持つ鳥として、天空の神ホルス(Horus)の化身とされていました。ホルスはファラオの守護神でもあり、王権の象徴として特に重要な神格です。

3Stage/死後の世界の門をたたけ!

《家の女婦人 ウェレトワハセトの棺(奥)と内部のカルトナージュ(手前)》新王国時代・第19王朝、前1292~前1190年頃

新王国時代、古代エジプト人にとって「死」とは終わりではありませんでした。むしろ、“あちら側の世界”にもう一度生まれ変わり、神々と共に生きるための準備を整える――それが死後の世界観でした。


展覧会ではその象徴ともいえるミイラが収められた棺とともにミイラの製作工程が映像や副葬品とともに詳しく紹介されていました。遺体は腐敗を防ぐために内臓を取り出され、ナトロン(天然の塩)で40日間乾燥されます。取り出された内臓は、カノポス壺という神聖な容器に納められ、肉体は何層にもわたる布で丁寧に巻かれていきます

《カノプス壺と蓋》末期王朝時代・第26王朝、前664~前525年、またはそれ以降

展示されていたカノプス壺にはそれぞれ、ジャッカル・ハヤブサ・人間・ヒヒをかたどったものがありました。この4つ、それぞれ神を象徴しており、「ホルスの4人の息子たち」が内蔵と魂を守る役割を担っているのです。

頭の形神の名前守る臓器守護する女神象徴する意味
ジャッカルの頭デゥアムトエフ(Duamutef)ネフティス勇気・守護・忠誠
ハヤブサの頭ケベフセヌエフ(Qebehsenuef)腸(小腸)セルケト空・秩序・神の目
人間の頭イムセティ(Imsety)肝臓イシス人間らしさ・感情・思考
ヒヒの頭ハピ(Hapi)ネイト知恵・呼吸・神聖な言葉
ホルスとは、ファラオの守護神であり王権の象徴

ホルスは、鷹やハヤブサの姿で表される神で、「空」と「太陽と月」を司るとされていました。とくに右目が太陽、左目が月とされる「ウジャトの目(ホルスの目)」の神話は有名です。

死者の国の神「オシリス」と、その妻イシスの子どもです。神話によると、オシリスは弟のセトによって殺されます。ホルスは成長後、セトに戦いを挑み、父の仇を討ち、「正当な王権の継承者」として地上を統治したとされています。

この物語が、後世のファラオたちが「ホルスの化身」とされる由来にもなっています。

《ミイラの覆い布》プトレマイオス朝時代、前332~前30年

ミイラにかけたれていた大きな布の展示はとても魅力的でした。中央にある赤茶色のエリアはオシリス神の腰のあたりだそうです。両脇にはイシス女神とネフテュス女神が並び、その女神たちの手前にたっているが死者です。

オシリス神の図像を直接かぶることで、死者は神と同一化し、死者の神性さと再生の力がもたらされると信じられていました。

《猫の棺とミイラ》末期王朝時代、前664~前332年

そして本展の目玉の一つが、動物のミイラ

非破壊検査により、この猫の像の内部に猫の遺体が眠っていることから、これが猫のミイラであることがわかります。猫までミイラにするんですね。
実際に見ると、大きな猫は狐くらい大きく、また小さな猫は子猫にしても小さすぎます。高さ63.2センチ〜が背筋ピーンとしながら凛々しくたつ姿はとても美しい。

猫はすでに先王朝時代から埋葬されており、とても大切にされていたことがわかります。

《デメトリオスという名の男性の肖像とミイラ》ローマ時代、後95~後100年

なんと!ギリシャ美術のような肖像が描かれたミイラが展示されていました。

エジプトらしくないこの肖像、どうやらこの中でミイラ化された男性の似顔絵のようです。文化が融合したローマ時代とはいえ、なんだか唐突な出現におどろきました。

デメトリオスという名前から、エジプトというよりギリシャ人のようですね。肖像の部分は、古代ローマ時代の技法である蝋画が採用されています。本展が3000年の時代を一望できることを改めて実感した展示内容でした。

おわりに|神殿の影にいた人々の“声”を聴く

古代エジプトというと、つい「巨大建築」や「ファラオの権威」に目を奪われがちです。でも、この展覧会が教えてくれたのは、それだけではありませんでした。

土器のかけらや小さな護符、動物のミイラ――そうした日用品や信仰の痕跡をひとつひとつ見つめることで、はじめて見えてくる人々の暮らし。死を前にした祈り、家族を思う気持ち、神にすがる希望。華やかな黄金の仮面の裏側には、そんな等身大の感情が確かに存在していました。

何千年も前の世界なのに、展示品のそばに立っていると、なぜだか“今の自分”にも通じるものがある。そんな不思議な時間を体験できました。

ブルックリン博物館所蔵 特別展 古代エジプト
2025年4月19日(土)〜6月15日(日)

会場静岡県立美術館
所在地:〒422-8002 静岡県静岡市駿河区谷田53-2

観覧料:一般:1,500円、70歳以上・高校生・大学生:800円、中学生以下:無料

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