世界遺産が違法建築だった!? サグラダ・ファミリア137年の謎とガウディの狂気

作品解説
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想像してみてください。

ボロボロの服を着て、ポケットにはわずかなナッツしか入っていない、一人の老人が路面電車に轢かれて倒れています。通行人たちは彼を見て、こう思いました。

「ああ、かわいそうに。またどこかの浮浪者が事故に遭ったんだな」と。

誰一人として気づかなかったんです。その薄汚れた老人が、まさかあの「神の建築家」、アントニ・ガウディその人であったなんて。奇妙奇天烈な世界遺産《サグラダ・ファミリア》。作った人も奇妙なら、建築も数奇な運命を辿っていました。

なんと《サグラダ・ファミリア》は、かつて違法建築だったのです。

高さは172.50メートルで神殿の中で最も高い塔となる

世界遺産、《サグラダ・ファミリア》。着工から140年以上が経ってもなお完成していない、世界で最も有名な「未完の傑作」です。それがついに2026年1月、ガウディ没後100年という節目の年に、世界記録を更新しようとしています。なぜ、彼はこれほどまでに巨大で、奇妙で、そして美しい建築を作り続けたのでしょうか?そしてなぜ、彼の最高傑作は、彼の死後100年経つまで完成しなかったのでしょうか? なぜ違法建築だったのでしょうか?

今日は、数々の謎と狂気に彩られた天才、アントニ・ガウディの生涯と、その情熱の物語を紐解いていきます。これを読めばきっと、《サグラダ・ファミリア》を見る目が、ガラリと変わるはずです。

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天才建築家の若き日の狂気 — 天才か、狂人か

遡ること1852年、スペインのカタルーニャ地方に生まれたガウディ少年。

彼は、決して活発な子供ではありませんでした。重いリウマチを患っていて、友達と走り回って遊ぶことができなかったんです。でも、この「動けなかった時間」こそが、のちに世界を驚かせる天才を生むことになります。

彼は来る日も来る日も、一人で植物の葉っぱや、這い回る虫たちをじっと観察し続けました。そこで彼は、ある真理にたどり着きます。

自然界に、定規で引いたような『直線』なんて存在しない

ここから、あのぐにゃぐにゃとした独特な曲線美が生まれたんですね。「直線は人間のものであり、曲線は神のものだ」これが、彼の生涯を貫く哲学となります。

サグラダ・ファミリア 身廊の天井の詳細。ガウディは柱を設計

青年になったガウディはバルセロナの建築学校に進みますが、ここでも彼は超がつくほどの問題児でした。図面の端っこに余計な装飾を描きまくったり、教授の教えを真っ向から否定したり。成績は常にギリギリ。

そして迎えた卒業式。校長先生は、ガウディに卒業証書を渡しながら、全校生徒の前でこう言い放ったそうです。

諸君、私たちは今日、この称号を『天才』に与えるのか、それとも『狂人』に与えるのか……それは時間が証明するだろう

なんとも皮肉な、そして予言めいた言葉ですよね。当時の人々にとって、ガウディの頭の中は、それくらい理解不能な「狂気」に満ちていたんです。

しかし、この狂気を「才能」だと見抜いて、莫大な資金を提供する一人の男が現れます。

ガウディを支えた運命のパトロン — グエルとの出会い

カサ・バトリョ

当時、奇抜すぎるガウディのデザインは、世間からは「悪趣味だ」「カエルみたいだ」と笑われていました。しかし、たった一人だけ、その才能に衝撃を受けた男がいました。繊維業界の超大物、エウゼビ・グエルです。

彼はパリ万博で、ガウディがデザインした手袋店のショーケースを見て、電撃が走ったと言います。「このショーケースを作った男は誰だ!?」と。グエルはガウディを探し出し、こう言いました。

君の作りたいものを作りたまえ。金ならいくらでもある

クリエイターなら誰もが憧れる「無限の予算」。こうして最強のタッグが誕生しました。二人が作った《グエル公園》や《グエル邸》。これらはただの豪華な建物ではありません。

グエル公園

「破砕タイル」と呼ばれる、廃材のタイルを粉々にして貼り付ける独自の技法。まるで生き物のような曲線。グエルは、ガウディの頭の中にあるファンタジーを現実にするためなら、どんな出費も惜しみませんでした。

実はこの《グエル公園》、当時は高級分譲住宅地として売り出されたんですが……結果はどうだったと思いますか?なんと、買い手が2人しか現れなかったんです。しかもその2人とは、ガウディ本人と、グエル伯爵だけ。猛烈な工業化の時代、一般人にはあまりに斬新なスタイルは全く理解されませんでした。

それでもグエルは最期までガウディを信じ続けました。この絶対的な味方がいたからこそ、ガウディは批判を恐れず、あの《サグラダ・ファミリア》へと向かうことができたのです。

しかし、別れの時は近づいていました。最大の理解者グエルの死、そしてガウディ自身もまた、孤独な晩年へと足を踏み入れていきます。

神への献身 — 孤独な晩年とサグラダ・ファミリア

サグラダ・ファミリアのガウディのアトリエ

グエルが亡くなり、ガウディの家族や親しい友人たちも、次々とこの世を去っていきました。晩年のガウディは、深い孤独の中にいました。彼は、それまで受けていた他の仕事をすべて断り、残された人生のすべての時間を《サグラダ・ファミリア》ただ一つに注ぎ込むことを決意します。

なんと彼は、自宅を引き払い、建設現場の粗末な小屋に寝泊まりし始めたのです。

かつてはおしゃれでグルメだった男が、身なりにも全く気を使わなくなり、食事はレタスの葉と少しのミルクだけ。資金が底をつくと、自ら街角に立ち、通行人に頭を下げて寄付を募りました。

神はお急ぎにならない

焦る弟子たちに、彼はいつもそう語っていたそうです。彼にとって、生きている間に完成させることは重要ではありませんでした。自分が死んだ後も、誰かがこの意志を引き継いでくれると信じていたからです。

完成した寺院のモデル

だからこそ、彼は詳細な設計図を残すことよりも、巨大な石膏模型を作ることに没頭しました。「二次元の紙切れじゃ伝わらない。三次元の魂を残すんだ」とでも言うように。実は、ガウディの死後、スペイン内戦で彼のアトリエは破壊され、残されていたスケッチや図面の多くは燃やされてしまいました。

普通なら、ここで建設はストップするはずです。

しかし、彼が現場に残した無数の模型の破片。それが「暗号」となり、後世の建築家たちによって解読され、奇跡的に建設は続くことになったのです。全てを犠牲にし、石に魂を刻み続けた男。その旅の終わりは、あまりに唐突に訪れました。あの、路面電車の事故によって。

世界遺産が違法建築!? — サグラダ・ファミリア137年の謎

エンジェルチルドレンの合唱団の彫刻

信じられますか?あの、ユネスコ世界遺産に登録された、年間何百万人もの観光客が訪れる聖堂が、です。

実は、《サグラダ・ファミリア》は着工から130年以上ものあいだ、正式な建築許可を持っていませんでした。バルセロナ市の公式記録に残っています。いったいなぜ、こんなことが起きたのでしょうか?

話は1882年、《サグラダ・ファミリア》の着工当時に遡ります。当時、この建設地はバルセロナ市の郊外、別の自治体の管轄でした。ですから、建築許可は別の役所から得ていたんです。

しかし、時代が進むにつれて、バルセロナ市はどんどん拡大していきます。そして、《サグラダ・ファミリア》の敷地も、いつの間にかバルセロナ市の管轄内に編入されてしまいました。ここで問題が起きます。

バルセロナ市からの正式な建築許可が、どういうわけか申請されなかったんです。

理由は諸説ありますが、一説によれば、ガウディ自身がこう考えていたとも言われています。「これは神への建築だ。人間の役所の許可なんて、必要ない」と。

実際、彼は晩年、あらゆる世俗的なものから距離を置き、ただ聖堂のことだけを考えて生きていました。書類仕事なんて、彼にとっては二の次だったのかもしれません。一方、バルセロナ市の方も困惑していました。

法律上は「違法建築」。何度か工事停止を求めたこともあったそうです。でも、止められなかった。建設は寄付金と、世界中の信者たちの情熱によって支えられていたからです。

そして月日は流れ、ガウディが亡くなってからおよそ60年経った1984年。《サグラダ・ファミリア》は、違法建築のまま世界遺産に登録されます

世界が「これは人類の宝だ」と認めているのに、地元の市役所では「正式な許可がない建物」として扱われ続ける。なんとも皮肉な状況ですよね。

そしてついに、2019年。

着工から137年目にして、バルセロナ市と《サグラダ・ファミリア》の建設委員会は、正式な合意に達しました。建築許可が発行されたんです。その代わりに、《サグラダ・ファミリア》側は市に対して、約3,600万ユーロ——日本円でおよそ4億円以上を支払うことになりました。これは罰金ではなく、周辺のインフラ整備や交通改善に充てられる費用だそうです。

神の建築は、最後にはちゃんと、人間社会とも折り合いをつけたんです。

2026年の奇跡 — 完成へのカウントダウン

サグラダ・ファミリアの新しい石造物(左)が、染色され風化した古い部分(右)から見えます

そして、時は流れました。ガウディが亡くなってから100年後の、2026年。

ついに、《サグラダ・ファミリア》のうち「イエスの塔」が完成し、長きにわたる工事が完了する予定です。かつては「完成までに300年はかかる」と言われていました。

しかし、ガウディの意志を受け継いだ職人たちの執念と、IT技術や3Dプリンターといった最新テクノロジーの融合によって、奇跡的なスピードでゴールに辿り着こうとしています。

ガウディは生前、こう言いました。

明日はもっと良いものを作ろう

彼は完成した姿を見ることなく逝きましたが、彼が見ていたのは、建物そのものではなく、それを作り続ける人間の「祈り」や「希望」そのものだったのかもしれません。

私たちは今、歴史的な瞬間に立ち会おうとしています。

もしあなたがバルセロナに行く機会があれば、ぜひ見上げてみてください。その複雑怪奇な曲線の向こう側に、不器用で、孤独で、誰よりも神と自然を愛した一人の老人の笑顔が見えるはずです。

現在、寺田倉庫でガウディ展が開催されていますし、今年はまだ始まったばかり。この記念すべき年に、もしかしたら他にもガウディの作品に触れる機会があるかもしれません。

ぜひ充実したアートライフの一つになることを願っています。

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