2017年、ドナルド・トランプ氏がアメリカ大統領に就任した直後から、美術の現場では、さまざまな反応が見られるようになりました。一部のアーティストや美術館は、政権の政策や発言に対して明確な立場をとり、作品や展示を通して社会的なメッセージを発信しました。移民政策、環境問題、文化助成金の削減案、そして多様性をめぐる議論――そうした動きの中で、美術界もまた、自分たちの方法で「表現」を行ってきたのです。
本記事では、こうした美術界の反応を「事実」として整理し、ご紹介したいと考えています。
私は特定の政治的立場から批判や擁護をするつもりはありません。ただ、芸術と社会の関わりを記録し、読者の皆さんとともに「表現とは何か」「アートは社会にどう関与できるのか」を考えるきっかけを持ちたいと願っています。トランプ政権下のアートに何が起きたのか。その一端を、具体的な事例とともに見つめてみたいと思います。
文化・芸術に関わるトランプ政策まとめ(2017–2025)
ドナルド・トランプ氏は、2017年から2021年まで第45代アメリカ合衆国大統領を務め、2025年に第47代大統領として再任されました。彼の政権下では、アートや文化政策に関していくつかの重要な変更が行われました。以下に、その主な動向を時系列でまとめます。
芸術への資金援助廃止?__アートは税金の無駄遣い

2017年、トランプ政権は連邦予算案において、国家芸術基金(NEA)および国家人文基金(NEH)の廃止を提案しました。
NEAとは、1965年に設立された、アーティストや劇団、オーケストラ、美術館などへの助成金支給するプログラムです。これにより、地方の小規模なアートプログラムや文化団体が支援をうけており、アートに通じた教育や地域活性化を促進してきました。またNEHとは、1965年に設立された人文学の研究を教育を支援する連邦機関です。大学や研究機関への研究助成金の提供などをおこなっており、また公共図書館や博物館での展示、読書会、講座などの資金提供をおこなっていました。
この提案は、これらの機関が「税金の無駄遣い」であるとの見解に基づいており、連邦政府の支出削減と防衛費の増加を目的としていました。具体的には、NEAとNEHの予算をそれぞれ約1億4800万ドルから、NEAは2890万ドル、NEHは4230万ドルに削減し、段階的な廃止を進める計画でした。
しかし、この提案は議会で大きな反発を招きました。NEAとNEHは、地域の芸術団体や教育機関への支援を通じて、文化の振興や教育の充実に寄与しており、特に地方や低所得地域では重要な役割を果たしています。そのため、超党派の議員や市民団体から強い支持を受け、最終的には廃止案は否決されました。2018年度の予算では、NEAとNEHの予算がそれぞれ約1億5300万ドルに増額され、存続が決定されました。
NEAとNEHの存続は、文化多様性の維持や表現の自由の尊重といった観点からも重要であり、この一連の動きは、連邦政府の文化支援の在り方や、芸術・人文学の公共的価値についての議論を呼び起こしたのです。
モダン建築の抑制__抽象は共感を得られない?

2020年は「美しい連邦市民建築の推進(Promoting Beautiful Federal Civic Architecture)」と題する大統領令(Executive Order 13967)を発令し、連邦政府が新たに建設または改修する公共建築物において、古典的または伝統的な建築様式を推奨する方針を打ち出しました。この政策は、連邦建築物のデザインに対する政府の関与を強化し、特定の美的基準を設けるものでした。
ギリシャやローマ建築を思わせる白い大理石の柱、三角屋根、均整のとれたファサード——こうした“威厳と秩序”を象徴するスタイルが、理想的な美の基準として掲げられたのです。一方で、それに反してきたモダン建築や抽象的な公共アートは、“人々の共感を得られない”として、見えない圧力の中に置かれることになりました。
以下のビジュアルでは、クラシックな建築と現代建築が静かに向かい合い、その間にアーティストや建築家たちが議論を交わしています。空には「Tradition(伝統)」と「Innovation(革新)」という言葉が風にたなびき、誰が“美しさ”を定義するのか、その問いが空間全体に響いています。
教育教材にメス__表現の自由がなくなる?

2025年1月29日、トランプ大統領は「K-12教育における急進的洗脳の終結(Executive Order 14190)」と題する大統領令を発令しました。この命令により、連邦資金を受け取るK-12(幼稚園から高校まで)の学校では、以下のような内容を含む教材の使用が禁止されました
「反アメリカ的」または「破壊的」と見なされる教材
「ジェンダー・イデオロギー」や「批判的人種理論(CRT)」を推進する教材
これにより、アメリカ海軍兵学校(U.S. Naval Academy)のニミッツ図書館では、約400冊の書籍が撤去されました。中には、マヤ・アンジェロウの『I Know Why the Caged Bird Sings』やイブラーム・X・ケンディの『How to Be an Antiracist』など、人種、ジェンダー、国民的アイデンティティに関する作品が含まれていたのです。
この政策に反発が起こったのは出版側でした。アメリカ自由人権協会(ACLU)、教育者などから表現の自由や多様な視点へのアクセスが制限されると指摘されたのです。
博物館や図書館への助成金廃止?__地方図書館大打撃

2025年3月14日、トランプ大統領は「連邦官僚制度の継続的削減(Continuing the Reduction of the Federal Bureaucracy)」という大統領令を発令し、博物館・図書館サービス機構(IMLS)を含む7つの連邦機関の廃止を指示しました。IMLSというのは、アメリカの政府が図書館や博物館の活動を助けるために、出資など応援していたしくみのことです。米国の図書館や博物館は大きなダメージを受けたでしょう。IMLSの職員の大半が行政休職となり、同機関からの助成金に依存していた多くの図書館が、移動図書館、無料Wi-Fi、識字教育プログラムなどのサービスを縮小または停止せざるを得なくなりました。
特に、地方や低所得地域の図書館では、IMLSの助成金が不可欠であり、その削減は地域住民の情報アクセスや教育機会に深刻な影響を及ぼしています。アメリカ図書館協会(ALA)のシンディ・ホール会長は、「この資金削減の影響は、全国の小規模で農村部のコミュニティに最も大きく表れるでしょう」と述べています。
国家文化センターの解任__自ら文化センターの会長に?

2025年2月、トランプ大統領はジョン・F・ケネディ・センターの理事会を解任し、自らを会長に任命するという前例のない措置を取りました。この行動は、芸術表現の自由や文化機関の政治的中立性に関する懸念を引き起こしました。
ケネディ・センターとは1971年に設立された、アメリカ合衆国の公式な「国家文化センター(The National Cultural Center)」です。理事会は、その運営や方向性を監督する意思決定機関として機能してきました。通常理事は大統領によって政治的立場のない中立な人物が任命され、理事会も任期付きで構成されいました。しかし今年、なんと自らが会長となったのです。
このような動きに対し、多くの芸術家や関係者が懸念を表明したのです。例えばギタリストのヤスミン・ウィリアムズ氏は、グレネル氏とのメールのやり取りを公開し、センターの方向性に疑問を投げかけたのです。
建築に「ふさわしい」アートとは?__トランプ政権と公共空間の美意識

1960年代から続くアメリカの連邦文化政策に、「美しさ」にまつわる大きな問いが投げかけられました。そのきっかけとなったのが、2020年にトランプ政権が打ち出した「アート・イン・アーキテクチャー・プログラム」の方針変更です。
このプログラムはもともと、連邦政府が建設・改修する建築物にアート作品を組み込むことを推奨するものでした。作品は多くの場合、建築家やキュレーター、地域住民との協働で選定され、公共空間に多様な表現をもたらしてきました。
しかし2020年、トランプ政権はこのプログラムに新たな方針を加えます。大統領令「アメリカの英雄たちの記念碑の建設・再建」によって、以下のような基準が“推奨される”こととなったのです。
- 具象的(リアルでわかりやすい)な表現であること
- 歴史上の偉人や愛国的な出来事を主題とすること
- 抽象的、現代的な作品は、公共の理解を得にくいため控えることが望ましい
つまり、写実的で愛国的な表現が「ふさわしいアート」とされ、現代アートや抽象作品は選ばれにくくなる可能性が出てきたのです。この方針に対しては、建築家やアーティストの間で懸念の声が上がりました。
特に問題視されたのは、誰かが定義した“美しさ”が、公共空間において正解とされてしまうこと。本来は多様であるはずの芸術表現が、特定の価値観によって狭められる危険性があるからです。2021年、バイデン政権はこの大統領令を撤回し、再び表現の自由と多様性を尊重する方針へと転換しました。
しかし2025年、トランプ氏が再び大統領に就任すると、この方針が復活し、「古典的で伝統的な美」の価値観が再び連邦建築を覆うこととなりました。この一連の動きは、アートとは何か、公共空間における芸術の役割とは何かを考えるきっかけとなるかもしれません。
誰のためのアートで、何を語るべきなのか——。その問いは、今なお建物の壁面やロビーの片隅で、静かに続いているのです。
IMLSの廃止に対して、ALAおよびアメリカ州・郡・市職員連盟(AFSCME)は、トランプ政権を相手取って訴訟を起こしました。彼らは、図書館が信頼される公共機関であり、その運営に不可欠なIMLSの廃止は、全国の図書館サービスに連鎖的な悪影響を及ぼすと主張しています。
芸術を“正す”?__トランプ政権が文化政策に込めた思想

トランプ政権が文化や芸術に対して冷淡とも取れる姿勢を示す背景には、単なる予算削減以上の思想が存在します。それは、「アートは国家を強くしない」という信念、あるいは「文化よりも力こそが国を守る」という価値観に近いものです。
彼が繰り返し訴えてきた「Make America Great Again(アメリカを再び偉大に)」というスローガンの裏には、かつての“強く、誇り高いアメリカ”を取り戻すという明確な意志があります。そのために彼が重視するのは、軍事力、経済成長、国境の管理といった「目に見える力」であり、芸術や教育といった“柔らかい力”は優先順位が低いのです。
国家芸術基金(NEA)や人文基金(NEH)といった機関が支援するアートには、ジェンダー、移民、人種、LGBTQ+など、彼にとって「リベラルな価値観を押しつける」要素が含まれていると見られました。だからこそ、それらに公的資金を投じることを「税金の無駄」と断じたのです。
また、トランプ政権は「伝統」や「国民的誇り」に強くこだわります。公共建築を古典様式で建て直す方針や、愛国的なモニュメントを優先的に設置する政策は、文化を“国のイメージ戦略”の一部として扱う姿勢を物語っています。
彼にとって文化とは、国家の力を象徴するものであっても、問い直すものではない。多様な声を許容するよりも、ひとつの誇り高い「アメリカらしさ」を打ち立てることこそが目的です。そのために、アートが政府批判や分断を生む場になるのであれば、むしろ排除すべきとさえ考えているのかもしれません。
要するに、トランプが目指しているのは、「力強く、統一された、誇りあるアメリカ」。芸術や文化は、そのビジョンに従う限りでのみ、価値があるのです。
アーティストたちの声なき叫び
トランプ政権下、多くのアーティストたちは声を上げました。ただし、それはマイクではなく、作品を通じての抵抗でした。風刺や象徴、沈黙のなかに込められた怒りや不安、問いかけ──。ここでは、そんな「声なき叫び」のいくつかを紹介します。
大統領選時:声明文にハエを呼ぶアート?

ランプ政権下のアメリカでは、さまざまなアーティストが社会や政治に対する自身の思いを、作品というかたちで表現しました。それは必ずしも「反対運動」や「抗議活動」という形に限らず、自らの立場や違和感を視覚的に可視化しようとする行為でした。
たとえば、アーティストのジャック・ローレンスは、2016年の大統領選挙時に「Trump – Make America Great Again!」というスローガンのプラカードを犬の糞に突き立てた作品を発表しました。非常にストレートな風刺表現ではありますが、これはトランプ氏の言動に対する一つの視点として捉えることができます。
オバマ氏のあのビジュアルを描いた作家__多様性を象徴するアート

グラフィックアーティストのシェパード・フェアリーは、2017年のトランプ大統領就任に際して、強いメッセージ性を持つポスターシリーズ『We the People』を発表しました。これは、星条旗の色である赤・青・ベージュを基調に、ヒジャブをまとったイスラム教徒の女性、黒人女性、ラテン系少女など、アメリカの多様性を象徴する肖像を描いた作品群です。
各ポスターには、「We the People Are Greater Than Fear(私たちは恐怖よりも強い)」「We the People Defend Dignity(私たちは尊厳を守る)」などのスローガンが添えられ、移民排斥や人種差別に対する明確な立場を表明していました。
このシリーズは、2017年1月21日に全米で行われた「Women’s March(女性の行進)」で一斉に掲げられ、抗議の場における視覚的アイコンとなりました。政治的対立が激化するなかで、フェアリーの作品は「静かに、しかし強く語りかける抵抗の顔」として広く拡散され、アートが社会運動と共鳴する力を象徴するものとなったのです。
国のお金は誰のお金?__社会派アーティストの指摘

現代美術家バーバラ・クルーガーは、2020年のフリーズ・ロサンゼルス・アートフェアに合わせて、ロサンゼルス市内の公共空間を活用した大規模なプロジェクト「Untitled (Questions)」を展開しました。このプロジェクトでは、「Who owns what?(誰が何を所有しているのか?)」「Who is housed when money talks?(お金がものを言うとき、誰が住まいを得るのか?)」など、社会構造や権力関係に疑問を投げかけるフレーズが、ビルボードや街灯のバナー、公共交通機関の広告など、都市の至るところに掲示されました。
クルーガーの作品は、白地に赤い枠で囲まれた太字のテキストと、白黒写真を組み合わせたスタイルで知られています。彼女は、広告やメディアの手法を用いて、消費主義やジェンダー、権力構造といった社会的テーマを鋭く批評してきました。今回のプロジェクトでも、都市空間をキャンバスに見立て、日常の中に突如現れる問いかけを通じて、通行人に思考を促す仕掛けとなっています。
このような公共空間でのアート介入は、トランプ政権下で顕在化した社会の分断や不平等に対する、アーティストとしての静かな抵抗とも言えるでしょう。クルーガーは、直接的な抗議ではなく、視覚的な言語を通じて、見る者に内省を促し、社会のあり方を問い直す機会を提供しています。
彼女の作品は、単なる視覚的なインパクトにとどまらず、私たちの日常生活や価値観に深く入り込み、無意識のうちに受け入れている社会の構造や規範に疑問を投げかけます。このように、アートが公共空間で果たす役割や可能性について、改めて考えるきっかけとなるでしょう。
おわりに 問い続ける力としてのアート
トランプ政権下で浮き彫りになったのは、アートが単なる装飾ではなく、社会の価値観や権力構造を映し出す鏡であるという事実です。政治的な圧力や制約の中でも、アーティストたちは創造的な手法で声を上げ、問いを投げかけ続けました。それは、沈黙の中に響く「声なき叫び」であり、私たちに思考と対話の場を提供してくれます。このような時代だからこそ、アートが持つ力と役割について、改めて考えてみることが求められているのではないでしょうか。
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