トニー・アウスラー解説|幽霊を呼ぶ400年の技術史

芸術家
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2026年7月3日、東京・虎ノ門ヒルズのTOKYO NODEでアメリカのマルチメディアアーティスト、トニー・アウスラー(1957年〜)の日本初大規模個展が開幕した。「技術と霊知のはざま」というタイトルが示すのは、LCDプロジェクターで立体物に映像を投影するアウスラーの技法が、カメラ・オブスキュラから幻燈(マジック・ランタン)、心霊写真を経て現代に連なる「幽霊を作る400年の技術史」の最前線にあるという認識だ。デヴィッド・ボウイと作曲家グレン・ブランカとの共作《空(くう)》(2000年)が世界初公開される。約50点、うち半数近くが日本初公開の大規模展だ。

https://www.tokyonode.jp/events/tony-oursler/index.html

暗闇の中に、頭がある。

台座はない。床に置かれた縫いぐるみの頭部に、プロジェクターの光が照射されている。顔がある。口が開く。「私はここにいる」と言っている。白い布の上に映し出された眼球は、こちらを正確には見ていないのに、見ている気がする。これはスクリーンではなく、物体だ。物体であるのに、そこに意識がある——その「ずれ」が、見る者の脳幹に直接触れる。

トニー・アウスラーの映像インスタレーションは、「見ること」の原始的な欲望を剥き出しにする。

人類が暗闇の中でものを見ようとした最初の試みは、おそらく焚き火の洞窟壁画にある。光源を持ち、それを物体に当て、影が動くとき——そこに何かが「宿る」と感じる衝動は、ネアンデルタール人の神経回路と私たちが共有するプログラムだ。カメラ・オブスキュラで壁に木漏れ日を投影した16世紀の修道士が「天使が現れた」と記録し、18世紀フランスのファンタスマゴリアでランタンの光が壁を走るとき観客が「本物の幽霊だ」と叫んだのも、同じ回路の発火だ。

アウスラーの作品はその回路を、21世紀のデジタル文明の真っ只中で、意図的に起動させる装置だ。

1991年、ドクメンタ9(カッセル)に出品した《ザ・ウォッチング》で、アウスラーはLCDプロジェクターという当時まだ業務用機器だった道具を美術の文脈で初めて使用した。縫いぐるみの頭部に喋る顔の映像を投影する——それだけの装置が展示室を「告白の空間」に変えた。以来35年、アウスラーはこの原理を拡張し続けている。布から岩へ、光の粒子から、そして巨大な黒い一枚岩(モノリス)へ。

今回TOKYO NODEで世界初公開される《空(くう)》は、その最も野心的な拡張だ。高さ数メートルのモノリスにデヴィッド・ボウイの語りのパフォーマンス映像が投影され、グレン・ブランカの音楽が空間を支配する。ボウイが2000年に録音し2016年の逝去まで公開されなかったこの映像は、26年を経て初めて東京の空間に解き放たれる。物体に宿る声。死者の映像。現代の幽霊召喚術——アウスラーが40年間問い続けてきた命題が、ここで一つの形をとる。

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顔が映像である違和感

https://tonyoursler.com/the-watching

《ザ・ウォッチング》(The Watching, 1991年)

素材:LCDビデオプロジェクター、縫いぐるみ(白色薄手綿布製人形)、ビデオ録画(シングルチャンネル) / 初出:ドクメンタ9(カッセル、ドイツ、1992年)

この作品がアウスラーにとっての「発明」となった理由はLCDプロジェクターの選択にある。1990年代初頭のLCDプロジェクターは高価な業務用機器で、解像度はVGA(640×480ピクセル)、輝度は150〜500ルーメン程度だった。アウスラーはこの「粗さ」こそが目的に適うと判断した。映像の粒子の粗さは、映像が物体に「融合する」のではなく「貼り付く」感覚を与え、その違和感が鑑賞者に「映像は物体とは別の存在だ」という認識を再発見させる。

人形の頭部には白色の薄い綿素材(プロジェクター光の反射を最大化するため)が使われる。投影される「顔」の映像は俳優あるいはアウスラー自身がパフォーマンスしたビデオ録画だ。人形の頭部サイズにズームを合わせることで「映像の顔」が「物体の頭部」に物理的に収まり、「そこに誰かいる」という錯覚を生む。

https://tonyoursler.com/the-influence-machine-new-york

《インフルエンス・マシン》(The Influence Machine, 2000年)

素材:屋外投影(樹木・建物・煙幕を投影面として使用)、マルチチャンネル映像・音響 / 初出:ニューヨーク・マジソン・スクエア・パーク(2000年10月)、翌月ロンドン・ソーホー・スクエアに巡回

公園の樹木の幹、芝生の霧(人工スモーク)、建物のファサードを投影面として顔・手・身体断片の映像が都市空間に溢れる屋外インスタレーション。スモーク・マシンで生成した霧幕に映像を投影する手法は、1798年のファンタスマゴリア(後述)の現代的再演だ。ニューヨーク上映は2000年10月——9.11テロの11ヶ月前——に行われた。マンハッタンの公園に漂う人体断片の映像は、2001年9月以降に見た者に別の層の意味を帯びる。アウスラーはこの「意図しない意味の付着」を映像インスタレーションが持つ時間的性質として重要視する。

《空(くう)》(Kuu / Empty, 2000年制作、2026年世界初公開)

素材:映像投影、モノリス(黒大理石様素材)、マルチチャンネル音響(グレン・ブランカ作曲) / 制作・録音:2000年 / 展示:TOKYO NODE GALLERY(東京、2026年7月3日〜9月27日)★世界初公開

デヴィッド・ボウイは1995〜1996年のアルバム「Outside」ツアーで、アウスラーに映像ディレクションを依頼した。これが二人の協働の始まりだ。「Outside」の世界観——架空の探偵ネイサン・アドラー、分裂した自我、芸術犯罪——はアウスラーが長年探求する「メディアと人格の解離」テーマと構造的に一致し、二人の共鳴は即座だった。

2000年、ボウイとアウスラー、そしてニューヨーク前衛音楽の重鎮グレン・ブランカ(1948〜2018)の三者で《空》を制作した。ブランカはニューヨーク・ノー・ウェーヴを代表する作曲家で、多重ギターによる轟音と静寂が交差する「ギター管弦楽」を確立した人物だ。後にソニック・ユースのサーストン・ムーアとリー・ラナルドがブランカのアンサンブルで学んでいる。ボウイは高さ数メートルの黒いモノリスの前に立ち語りのパフォーマンスを録画。ブランカが音楽を作曲した。作品は完成したが未公開のまま保管され続け、ボウイは2016年1月10日——アルバム「ブラックスター」発売から2日後——に死去した。

26年を経て選ばれた初公開の場が東京・虎ノ門のTOKYO NODEだ。ボウイが1970年代から繰り返し来日しアジアの美意識を作品に取り込んでいたこと、そして《空》という日本語タイトルが持つ禅的な余白の概念——この二つの一致が、東京を選んだ背景にある。

https://www.tokyonode.jp/events/tony-oursler/index.html

《キメラ》(Chimera, 2026年)

素材:映像投影、マルチチャンネル音響、サイトスペシフィック・インスタレーション / 制作年:2026年(TOKYO NODEのために新規制作)

本展のために制作されたサイトスペシフィック新作。TOKYO NODEの天井高15メートルのドーム型ギャラリーの建築的特質を活かし、空間全体に映像と音響が充満する。ギリシア神話の「複数の生物が混合した怪物」キメラはここで、メディア・テクノロジー・オカルト・科学が混合するアウスラーの作品世界全体のメタファーとして機能する。

技術と霊知:幽霊を作る400年の系譜

カメラ・オブスキュラ:光の穴が作る錯覚(15〜17世紀)

暗い部屋(オブスキュラ)の壁に小さな穴を開けると外の景色が逆向きに壁面に投影される——この現象は古代中国(墨子、紀元前5世紀)やアラビアの光学書(イブン・アル=ハイサム、1021年著『光学の書』)にすでに記述されていた。ヨーロッパでは15世紀以降に普及し、16世紀には画家の補助道具として使われるようになった。ヤン・フェルメールがカメラ・オブスキュラを使って絵を描いたという説は今も議論が続く。

17世紀になるとレンズ技術の発展とともにポータブルなカメラ・オブスキュラ(テント型・箱型)が製作された。「光を操作して外の世界を内側に持ち込む」——これが映像投影技術の原型だ。

マジック・ランタン:幻燈の誕生(1659年〜)

1659年、オランダの物理学者クリスティアーン・ホイヘンス(1629〜1695)が光学レンズと光源を組み合わせてガラス板の絵を壁面に拡大投影する装置を記述した——これが「マジック・ランタン(幻燈)」の始まりだ。ホイヘンスはこの装置の娯楽的使用を嫌い「悪魔のおもちゃ」と呼んで忌避したが、その後ヨーロッパ全土でショーマンたちが幻燈興業を始め18世紀には大衆娯楽の主力装置となった。日本には18世紀末に「写し絵」として伝来し、移動式の幻燈興業師が江戸・大坂・京都で興業した。

ファンタスマゴリア:幻燈が「幽霊」になった瞬間(1798年)

ベルギー生まれのエティエンヌ=ガスパール・ロバートソン(1763〜1837)は、パリのカプチン会修道院廃墟を借り1798年1月に「ファンタスマゴリア(Phantasmagoria)」と名付けたショーを開催した。彼の革新は「幻燈の移動」だった。従来の幻燈は固定した光源から壁に投影したが、ロバートソンはランタン自体をレール上で移動させ煙幕に投影することで「幽霊が迫ってくる」という立体的な運動感を作り出した。

漆黒の部屋に入れられた観客に幻燈が壁・天井・煙に次々と骸骨や悪霊の映像を投影する。フランス革命直後のパリ市民は「死者が蘇った」と信じて逃げ出したという記録が残っている。これはヨーロッパ初の「映像体験施設」であり、映画の先駆けだ。アウスラーが21世紀に行うことの、ほぼ完全な原型でもある。

スピリット写真(心霊写真):死者を「写す」欲望(1861年〜)

1861年、アメリカのウィリアム・ハムスティードが「亡き妻の霊」が写り込んだ写真を公開した。これがスピリット写真ブームの始まりだ。二重露光や暗室での操作によって生成されたこれらの「心霊写真」は、南北戦争後の遺族の需要と結びついて急速に普及した。写真という「科学的・客観的」な媒体に「幽霊が写る」という矛盾——この矛盾こそが、メディアと信仰の関係を問い続けるアウスラーの核心テーマだ。彼のニューヨーク・スタジオには心霊写真・エクトプラズム写真・UFO写真・幻燈スライドなど1万5000点以上の資料が収蔵されている。

ナム・ジュン・パイクとビデオアートの誕生(1963年〜)

1963年、韓国人アーティストのナム・ジュン・パイク(白南準、1932〜2006)がドイツ・ヴッパータールの展覧会でポータブル・ビデオカメラを使った映像作品を展示した——これが「ビデオアート」の誕生とされる。パイクはテレビ受像機を立体的に配置した彫刻(《TV仏陀》など)で、映像機器そのものを「ギャラリーに置かれる物体」として再定義した。

アウスラーはCalArts在学中の1970年代後半にパイクの講演を聴き「映像は絵画ではなく彫刻だ」という発想の転換を得た。パイクのテレビ受像機が「映像の入れ物としての物体」を問題にしたとすれば、アウスラーは「映像が物体から溢れ出す」という逆転を探求した。

画家の生涯における特異点

1957年:マンハッタン生まれ、文学の家系

トニー・アウスラーは1957年、ニューヨーク・マンハッタンで生まれた。父フルトン・アウスラー・ジュニアはリーダーズ・ダイジェスト編集長を務めた文筆家。祖父フルトン・アウスラー・シニアはイエス・キリストの生涯を描いたベストセラー「偉大なる物語(The Greatest Story Ever Told)」(1949年)の著者だ。「物語で人を動かす」という家系的衝動が、アウスラーの作品に通底する語り(ナレーション)への執着と無縁ではないだろう。幼少期はニューヨーク郊外のナイアック(ニューヨーク州)で過ごした。

1975〜1979年:カリフォルニア芸術大学(CalArts)

アウスラーはカリフォルニア芸術大学(California Institute of the Arts, Valencia)で学び1979年にBFA(美術学士)を取得した。CalArtsは1961年にウォルト・ディズニーの資金援助で設立された芸術総合大学で、概念芸術・実験映画・パフォーマンスアートの拠点として1970年代に際立った存在感を持っていた。

同期・近接学年には後に現代美術を定義する作家たちが集まっていた。マイク・ケリー(1954〜2012)は大衆文化・セクシュアリティ・トラウマを主題にした彫刻・パフォーマンスで知られ、アウスラーの長年の共同制作者となった。スー・ウィリアムズ(1954〜)、スティーブン・プリナ(1954〜)、ジム・ショウ(1952〜)も近接学年だ。教授陣にはジョン・バルデッサリ(概念芸術の重鎮)とローリー・アンダーソン(パフォーマンス・テクノロジーの先駆者)がいた。アウスラーはバルデッサリと個別指導(インディペンデント・スタディ)を行い「映像は言語だ」というコンセプチュアルな映像観を体系化した。

1980年代:シングルチャンネル・ビデオの時代

https://tonyoursler.com/evol-1

CalArts卒業後、アウスラーはニューヨークに移りシングルチャンネルのビデオ作品を制作した。《ザ・ローナー》(The Loner, 1980年)は孤独・疎外・大衆メディアを主題にした手製のビデオテープ作品でアウスラー自身が俳優として出演した。《EVOL》(1984年)は社会規範・性・メディア操作を「ポップ」なビジュアル言語で解体した。1982年にはMoMA PS1で《Son of Oil》を発表。陰謀論・石油産業・管理社会のディストピアを荒削りなビデオ映像と手製の舞台装置で表現したこの作品は国際的な注目を集めた。この時期の映像は意図的に画質を粗くし、16ミリフィルムの「権威」への反抗を体現した。

1991年:LCDプロジェクターとの「発明」

1991年、アウスラーはLCDプロジェクターの試作品を使った実験中に偶然布の人形に映像を投影した。その瞬間「映像が顔になった」という感覚を得て《ザ・ウォッチング》の原型が生まれた。翌1992年のドクメンタ9での展示が、ビデオ・プロジェクション彫刻の国際的デビューとなった。

1995〜2000年:デヴィッド・ボウイとの邂逅と《空》の誕生

1995年、デヴィッド・ボウイはアルバム「アウトサイド(1. Outside)」を発表した。ブライアン・イーノとの共同制作で、架空の探偵ネイサン・アドラーが「芸術犯罪」を捜査するコンセプト作品だ。ボウイはこのワールドツアー(Nine Inch Nailsが前座を務めた)の映像演出としてアウスラーに依頼した。ボウイが演じる分裂した自我・崩壊するアイデンティティというテーマは、アウスラーが探求する「メディアと人格の解離」と構造的に一致した。

2000年、二人はグレン・ブランカを加えた三者で《空(くう)》を制作した。ボウイは高さ数メートルの黒いモノリスの前で語りのパフォーマンスを録画し、ブランカが多重ギターによる音楽を作曲した。作品は完成したが未公開のまま保管され、ボウイは2016年1月10日に膵臓癌で死去した。26年の封印を経て、2026年の東京が初公開の場として選ばれた。

2015年以降:歴史と記憶のアーカイブ

《インポンダラブル》(Imponderable, 2015〜2016年)は、15年以上かけて収集した1万5000点の資料を基に制作したアーカイブ映像インスタレーション。心霊写真・UFO写真・幻燈スライド・催眠術の記録が複合的に展示される。MoMA(ニューヨーク近代美術館)が収蔵している。《スペキュラー》(Specula, 2021年)は光の粒子・鏡面・AI生成映像を組み合わせた近作で、アウスラーが「霊知」の現代的形式としてAIを取り込み始めていることを示す。

現代デザイン・私たちへの示唆

洞窟の影絵・幻燈の光線・現代のLCDプロジェクターが同じ幽霊のような顔を壁に映し出す、光の投影の系譜を表した抽象イラスト
洞窟の影絵から幻燈、LCDプロジェクターへ。技術は形を変えながら同じ「幽霊」を呼び続けてきた(イメージ)。

プロジェクション・マッピングという表現技法は今日、建物・橋・自然物に映像を投影するイベント演出として日本でも広く普及しているが、その表現的先駆けはアウスラーが1991年に縫いぐるみに映像を投影した実験にある。しかし「映像で建物を美しく飾る」娯楽産業化したプロジェクション・マッピングとアウスラーの投影が根本的に異なる点がある:アウスラーは投影面(物体)が「意識を持って見返す」関係を設計する。装飾ではなく対話だ。

VR・AR・没入型体験が産業化する2020年代において、「没入感」を設計する際にアウスラーの40年の実践から学べることがある。アウスラーの「没入感」は高解像度や360度映像によって作られるのではなく、「暗闇の中に一つの顔がある」という最小限の仕掛けから生まれる。刺激の飽和によって麻痺しつつある感覚を逆に鋭敏にする「余白の多い没入」だ。

さらに重要な示唆:「技術は常に幽霊を呼んできた」という歴史的認識だ。カメラ・オブスキュラで「天使が現れた」と記録した16世紀の修道士も、心霊写真で「亡き妻に会えた」と信じた19世紀の遺族も、AI生成映像で「亡き人の動画を作れる」という21世紀のサービスユーザーも、同じ欲望の回路を作動させている。アウスラーの作品はその回路を可視化し「私たちはなぜ映像に人を見るのか」を問い続ける。

デヴィッド・ボウイは生前、アウスラーとの協働について「彼はテクノロジーを使わない。テクノロジーを飼いならして、人間の内側を見せる」と語ったとされる。その言葉は、アウスラーの全作品の最も正確な批評だ。

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