視点が変わると世界が変わる。異なる位置から同じ模型を見るカメラの概念表現

目の前の景色を、できるだけ正確に描く。そのために、画家は数学の理論や光学の道具を使ってきました。しかし、景色を写せることと、その景色をどう理解するかは、同じではありません。

どこから見るのか。何を画面に入れるのか。どの瞬間を残すのか。同じ対象でも、その条件を変えると、見える姿も伝わる意味も変わります。

他者の視点と自己の視点は交換可能である。 透視図法からカメラ、写真へと続く歴史をたどりながら、自分が見ている世界を唯一の基準にしない、という制作の姿勢を考えます。

この記事は授業内容を元にAIが執筆しています。

一つの目で見ると、世界はどう描けるのか?

ルネサンス期に体系化された線遠近法は、ある位置に置かれた目から見える空間を、平面に表す方法です。奥へ向かう平行線を消失点に集めるなど、一定の幾何学的な関係を使います。

アルベルティは1435年の『絵画論』で、描く面を「開いた窓」として捉える考え方を示しました。窓越しに見えるものを写すように、見る位置と画面の関係を定めるのです。これは、実際には動き回る私たちの目を、いったん一つの位置に置いて考える方法でもあります。

マザッチョの《聖三位一体》(1420年代、フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂)では、壁の向こうへ礼拝堂が続いているように見えます。ブルネレスキの遠近法研究との関係が指摘される、初期の重要な作例です。ただし、ブルネレスキが制作にどこまで直接関わったかは、確定していません。聖堂の作品解説

「開いた窓」は、何を画面の外へ置くのか?

一つの視点を定めると、空間を整然と組み立てられます。一方で、その位置から見えない面や、画面の外へ続くものは、そのままでは表せません。空間を広げる方法が、同時に表現の範囲を決めることにもなるのです。

美術家・批評家の岡崎乾二郎は『ルネサンス 経験の条件』で、フランカステルによる透視図法批判を取り上げています。その論点の一つが、画面だけからは対象の大きさや距離を一意に決められない、という問題です。

例えば、大きく描かれた犬と、小さく描かれた犬がいるとします。同じ大きさの犬が近くと遠くにいるのか。それとも、大きさの違う犬が並んでいるのか。対象についての知識や、床・建物などの尺度の手がかりがなければ、描かれた大きさだけでは決まりません。

これは、遠近法の計算そのものが破綻しているという意味ではありません。幾何学的に像を作ることと、その像が何を示しているのかを理解することには、別の条件が必要だという問題です。

レオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》でも、奥行きを作る線はキリストの頭部付近へ集まります。その一方で、人物を横一列に見せる長い食卓や、その後ろへ広がる空間は、日常の食事風景をそのまま切り取った配置ではありません。奥行きの整合性と、人物や物語を見せるための構成が、同じ画面の中に重なっています。

写真のように描くことだけが、リアルなのか?

一つの位置から見える姿に合わせることは、ものを伝えるための有力な方法です。しかし、世界の絵画がすべて、その方法だけを目指してきたわけではありません。

《源氏物語絵巻》に見られる「吹抜屋台」は、屋根や天井を取り去ったようにして、建物の内部を描く方法です。屋根の上から実際に覗いた景色ではなく、部屋の配置や人物の関係を読めるように画面を構成しています。単一の消失点へ集める線遠近法とは、空間を伝える仕組みが異なります。五島美術館の解説

古代エジプトの人物表現では、頭や脚を横から、肩や目を正面から見た形を組み合わせる描き方があります。一人の人物を一瞬、一方向から見た姿に合わせるよりも、それぞれの部分の特徴を明瞭に示すことが重視されています。メトロポリタン美術館の教育資料

こうした絵を、写真との似かよいだけで評価すると、その絵が伝えようとしていることを取り落とします。何が見えるかだけでなく、何を分かるようにするかによって、適した表現は変わるのです。

イコンでは、見ることと見られることが重なる

キリスト教の聖像であるイコンには、見る人が聖なる存在へ向き合い、祈るという関係があります。画面の中の存在を観察するだけでなく、自分もその存在に見守られている、という受け止め方です。

ここでは、人物を大きく描くことが、身体の寸法や距離を示すとは限りません。重要な存在を大きく表す「階層的な尺度」と、通常の線遠近法とは異なる空間の構成を分けて考える必要があります。

「逆遠近法」は、奥へ向かうはずの線が画面の奥で広がるなど、通常の線遠近法とは逆の関係を示す表現を指します。重要な人物が大きいことだけを、逆遠近法と呼ぶわけではありません。

岡崎の議論を手がかりにすると、イコンを、見る側だけが世界を支配する窓としてではなく、画面の向こうの存在と見る人との関係を作るものとして読むことができます。これは、中世の絵画すべてが一つの原理で描かれたという説明ではなく、絵と鑑賞者の関係を捉える一つの視点です。

視点を固定すると、なぜ他者の視点が見えてくるのか?

ブルネレスキの遠近法実験は、絵に設けた小さな穴と鏡を使い、描いた建物と実際の景色との対応を確かめる装置として伝えられています。見る位置を限定することで、像と空間の関係を検討する仕組みでした。

一つの視点を定めることは、「この場所からは、こう見える」と条件を明らかにすることでもあります。その条件が分かれば、別の場所に立ったときにはどう見えるか、という問いも生まれます。

同じ建物を正面から見る人と、横から見る人では、見える面や重なり方が違います。どちらか一方が建物のすべてを見ているわけではありません。視点が変わると何が変わり、何が変わらないのかを考えることが、他者の位置から世界を組み直す入口になります。

岡崎の著書や斎藤環による同書の解説で論じられる「視点の交換可能性」は、この問題につながります。遠近法だけで人間の考え方のすべてが変わったと断定するのではなく、固定された主体や、唯一の見方を問い直すための議論として捉えられます。書籍情報

グラッソの物語は、「自分」の確かさを揺さぶる

ブルネレスキが木工職人グラッソに仕掛けたとされる悪戯は、アントニオ・マネッティに帰される『太った木工職人の物語』に伝えられています。周囲の人々がグラッソを別人の「マッテオ」として扱い、本人の認識を揺さぶる物語です。シエナ大学の本文・書誌

物語の中では、自分で知っているつもりの自分と、周囲から語られる自分との食い違いが、混乱を生みます。これは、人間の人格が簡単に入れ替わることを証明した実験ではありません。自己の認識も、他者との関係から切り離されてはいない、という問題を考えるための逸話です。

見る場所だけでなく、誰にどう扱われ、どんな状況に置かれるかによっても、世界の受け止め方は変わります。「自分ならこう見る」という判断を、そのまますべての人へ当てはめないことが大切です。

カメラは、写真が生まれる前から画家の道具だった

カメラ・オブスクラは、暗い部屋や箱に設けた小さな穴、またはレンズを通して、外の像を内部へ映す装置です。外の景色が上下逆に映り、その像を観察したり、描き写す手がかりにしたりできます。レンズや鏡を組み込んだ装置には、像を明るくしたり、観察しやすい面へ導いたりする工夫があります。ナショナル・ギャラリーの用語解説

大きな暗室だけでなく、持ち運べる箱型の装置も使われました。この段階では、像が映っていても、それ自体が写真として残るわけではありません。光学的に像を作る技術と、その像を感光材料へ定着する技術は、区別して考える必要があります。

18世紀のヴェネツィアで活躍したカナレットは、カメラ・オブスクラを利用した可能性が指摘される画家です。ただし、風景画を機械の像の忠実な写しと捉えるだけでは不十分です。彼は建物の位置や見え方を調整し、画面としての構成も作っています。ナショナル・ギャラリーの作家解説

フェルメールの《デルフト眺望》(1660〜61年頃、マウリッツハイス美術館)には、船などに白い光の点が置かれています。「ポワンティエ」と呼ばれる点状の描写です。こうした光の粒と、光学装置による像との関連が論じられてきました。しかし、点の描写だけでカメラ・オブスクラの使用を証明できるわけではありません。使用の有無や程度には議論が残ります。作品の所蔵館

写真は、像を残すことと複製することをどう変えたのか?

19世紀になると、光によってできた像を、物質の変化として残す写真術が発展します。ニエプスの《ル・グラの窓からの眺め》は、現存最古のカメラによる写真として知られます。制作年には1826年または1827年とする表記がありますが、所蔵するハリー・ランソム・センターは現在1827年としています。長い露光を必要とし、現在の写真のように一瞬を鮮明に切り取るものではありませんでした。所蔵機関の解説

続いて1839年に公開されたダゲールのダゲレオタイプは、銀メッキした銅板に非常に細かな像を作りました。初期には数分以上の露光が必要で、その後の改良によって短縮されます。撮影時間は年代・装置・光の条件で異なり、すべてが同じ時間だったわけではありません。

ダゲールの《タンプル大通り》では、建物が見える一方、動いていた人や馬車の多くは像として残っていません。長い露光の間に動くものは、同じ場所へ光を当て続けないからです。写真にも、装置と撮影条件による「見えるもの・見えないもの」があります。

19世紀の写真術には、どんな違いがあるのか?

技法 像を作る材料・仕組み 特徴
ヘリオグラフィー ニエプスが開発。金属板などに塗った瀝青の感光性を利用 初期の像は長い露光を必要とした
ダゲレオタイプ 銀メッキした銅板に直接像を作る 精細な一点もの。同じネガから複数枚を焼く方式ではない
カロタイプ タルボットが1841年に特許取得。紙のネガを使う 一枚のネガから複数のポジ画像を作れる
アンブロタイプ ガラス板上のコロジオン画像を暗い背景で見る 陽画のように見える一点もの。1850〜60年代に肖像写真として普及

カロタイプの特徴は、紙を使うことに加え、ネガとポジを分ける仕組みにあります。カロタイプ自体はフィルム写真ではありませんが、一枚のネガから複数枚の写真を作る考え方は、その後の写真技術へつながります。メトロポリタン美術館の技法解説

アンブロタイプはアメリカなどで肖像写真に広く使われ、特に1850年代半ばから1860年代半ばに人気がありました。アメリカ議会図書館の解説

写真が写せるようになると、絵画には何が残るのか?

肖像を得る方法として写真が広まると、画家に依頼して顔を描いてもらうことの意味や、仕事の条件も変わります。外見を記録する役割の一部を、写真が担うようになったのです。ただし、肖像画そのものがなくなったわけではありません。

写真は、絵画の役割を問い直す技術になりました。目の前のものと似ていることだけでなく、色や形によって何を感じさせるか、どの時間や関係を画面へ持ち込むか、といった問題が、改めて重要になります。

その違いは、走る馬の表現を見ると分かりやすくなります。ジェリコーの《エプソムの競馬》(1821年、ルーヴル美術館)では、馬の前脚と後脚が大きく前後へ伸び、空中を飛ぶように見えます。画面全体から速さや勢いを感じる一方で、一瞬の脚の配置を正確に記録した姿とは異なります。作品の登録情報

1878年のマイブリッジの連続写真は、肉眼では追いにくい馬の動きを、時間を分けて確認できるようにしました。四本の脚が地面を離れる瞬間はありますが、ジェリコーの絵のように前後へ伸ばし切った姿とは異なります。アメリカ議会図書館の所蔵資料

ジェリコー《エプソムの競馬》(1821年、ルーヴル美術館)。Public domain/Wikimedia Commons
ジェリコー《エプソムの競馬》(1821年、ルーヴル美術館)。Public domain/Wikimedia Commons/画像出典
マイブリッジ《動く馬》(1878年)。Public domain/Wikimedia Commons
マイブリッジ《動く馬》(1878年)。Public domain/Wikimedia Commons/画像出典

写真が示す一瞬の姿と、絵が伝える疾走感は、同じ問いへの答えではありません。何が起きているかを確かめることと、動きや速さをどう感じさせるかを分けると、それぞれの表現の働きが見えてきます。

今日の引き出し#04

他者の視点と自己の視点は交換可能である。

一つの視点から組み立てた世界は、世界のすべてではありません。デザインでも、ユーザーがいつも同じ場所、同じ姿勢、同じ知識や気持ちで接するとは限りません。自分の見え方をいったん離れ、別の位置や状況から同じものを捉え直す。そのとき何が変わり、何を共通の手がかりとして残せるかを考えることが、異なる人や状況へ届く表現につながります。