前回のおさらい
感想
機能主義やフォードシステム、シカゴ派建築を通じて、「形態は機能に従う」考えへの理解や納得、そしてデザイン思想と社会・歴史的背景との結びつきに対する興味・共感が強く表れています。
- 機能主義理解・共感
- シカゴ派・建築様式への興味
- フォードシステム(ベルトコンベア等)への関心
- 歴史・社会背景との関連に気づき
- 自然(動物・環境)との結びつき
- その他:形式・感情、学習・授業への気付きなど
質問など
- Q新幹線や車などは空力を考えているデザインが多いですが、その形状は設計した人が実験を重ねて作り出した形をデザイナーが補助しているのかまた、デザイナーが考えた形を設計士が空力に良いように少し修正しているのですか?
- A
現代では「デザイナーが補助」「エンジニアが修正」という一方向的な関係ではなく、最初から協働で最適解を見つけるアプローチが主流です。
- Q世界初のエレベーターは
何階まで何人を運ぶことができたのかが気になりました - A
授業で紹介したのは万博の展示品でした。
初期の実用的なエレベーターというと、1857年、E. V. ハウハウトビルに蒸気機関式エレベーターが搭載されました。それは5人乗りのようです。
ヨーロッパからの影響とニューバウハウスの誕生
20世紀前半のアメリカデザイン史において、1930年代は大きな転換点となりました。これまで産業の効率化を重視し、独自の道を歩んできたアメリカのデザイン界に、ヨーロッパから革新的な思想と才能が流入したのです。
本授業はアメリカ近代デザイン史シリーズの第3回目(最終回)として、この歴史的な変化の瞬間を詳しく見ていきます。この時代の最も重要な出来事は、2つの大きな変化でした。
亡命した西洋人/世界が繋がる
第一に、亡命したヨーロッパのデザイナーたちがアメリカに到着したことです。バウハウスの教師陣をはじめとする優秀なデザイナーや建築家たちが、政治的迫害を逃れてアメリカの地に新天地を求めました。彼らは単なる避難者ではなく、ヨーロッパで培った革新的なデザイン理論と実践経験を携えた文化の担い手でした。
美術とデザインが繋がる
第二に、美術とデザインが本格的に融合し始めたことです。これまでのアメリカ近代デザイン史では、産業と密接に結びついた実用的なデザインが中心でした。しかし、この時期を境に、芸術的な美意識とデザインの機能性が統合された新しいアプローチが生まれることになります。



今回取り上げる3つのキーワード—国際様式、ニューヨーク近代美術館(MoMA)、そしてニューバウハウス—は、まさにこの歴史的転換を象徴する存在です。1930年代から40年代にかけて展開されたこれらの動きは、現代のデザインにも深い影響を与え続けています。
ヨーロッパの洗練された美学理論と、アメリカの実用主義が出会った瞬間から物語を始めましょう。
時代背景:激動の1930年代

1930年代のアメリカは、内外の激しい変化に直面していました。1929年の世界恐慌によって経済が大混乱に陥る一方で、ヨーロッパではナチス・ドイツが台頭し、多くの知識人や芸術家が故郷を離れることを余儀なくされていました。
この時代の特徴を理解するために、まず「投げ捨ての経済」という概念を紹介しましょう。英国建築史家レイナー・バンハムが提唱したこの考え方は、従来のデザイン観に大きな変化が起きていることを示しています。

美学においても、他の多くのことと同様に、私たちはまだ投げ捨ての経済で生きるための体系化された知的態度を持っていない。なぜならプラトンで済ませているからだ

第二次世界大戦後の10年間で特に顕著になったこの変化は、デザインのお手本が建築から大衆文化へとシフトしたことを意味します。人々の移ろいゆく趣味やトレンドが、デザインを大きく動かす要因となったのです。
新しい概念「グッズ」消費文化の分析

バンハムは従来のデザイン批評が扱ってこなかった対象に光を当てるため、「グッズ」(Goodies)という独自の概念を提唱しました。これは単なる商品を指すのではなく、戦後の消費社会で新たに登場した文化的現象を捉える分析概念でした。
グッズとは、新しく、安価で、大量生産された製品群を指します。これらはしばしば既存の美的基準では「派手で俗悪」と判断されるものでしたが、バンハムはここに新しい美学の可能性を見出しました。重要なのは、これらの製品が労働階級の人々の生活に「物理的かつ象徴的な消費物」として浸透していることでした。つまり、単に使用されるだけでなく、アイデンティティや価値観を表現する手段として機能していたのです。

バンハムが挙げた具体例は示唆に富んでいます。ウラジーミル・ナボコフの小説『ロリータ』からの引用で、主人公が少女ロリータに買い与える品々—「4冊のコミック本、キャンディの箱、生理用品の箱、コーラ2本、マニキュアセット、蛍光ダイヤル付き旅行用時計、本物のトパーズの指輪、テニスラケット、白いハイシューズ付きローラースケート、双眼鏡、携帯ラジオ、チューインガム、透明なレインコート、サングラス」—を挙げ、これらの「唯一の目的は消費されることだった」と分析しました。
分析の三要素:新しい「グッズ」を知る着眼点

図像の応用

従来の美術史

これは聖母マリアの物語だ

聖書の物語の象徴だ

図像を見て分析するマインドの応用

これは未来の家庭生活の夢物語だ

アメリカンドリームの象徴だ
従来の美術史で用いられてきた図像学的手法を、デザイン対象に応用したものでした。しかし、バンハムの場合は、古典的な宗教画や神話的図像ではなく、SF映画、土木機械、超音速航空機、レーシングカー、紋章学、そして「テクノロジーとセックスの親和性についての根深い精神的傾向」といった現代的な象徴体系を分析対象としました。簡潔にいうと商品のデザインに隠された物語やメッセージを読み解くことに繋がります。
表面のインパクト
輝き → クロームメッキのピカピカ感
量感 → 大きくて重厚な見た目
三次元性 → 立体的で迫力のある形
技術の露出 → エンジンやメカが見える
力の表現 → パワフルな印象
即座のインパクト → 一目見て「すごい!」と思わせる
従来の美学が重視してきた伝統的な抽象的品質よりも、むしろ「表面的」とされる性質に注目することを意味しました。バンハムは「輝き、量感、三次元性、技術的手段の意図的な露出、力を示す能力、即座のインパクト」といった特性 の重要性を強調しました
形が憧れ(消費欲求)を産む

バンハムは「デトロイトの自動車デザイナーたちは、車の形を通じて人々の夢や憧れを表現する翻訳者になっている」と主張しています。1950年代に流行したキャデラック。これはもともとはジェット戦闘機の翼を模した形をしていますが、消費者にとっては直感的に「この車は未来的でスピード感がある」と捉えます。根底には戦後の宇宙開発競争への憧れと高度技術への信頼があるものの、形が消費欲求につながる例です。
国際様式とは世界恐慌が生んだ新しい建築思想

1930年代のアメリカは、経済的混乱と社会的変革の真っ只中にありました。1929年の世界恐慌によって従来の価値観が根底から揺さぶられる中、建築とデザインの世界でも大きな変化が起こっていました。この激動の時代に誕生したのが「国際様式」(インターナショナルスタイル)という革新的な建築思想です。

国際様式とは、1930年から40年代にかけて確立された近代建築様式と建築思想の総称で、その核心は「歴史や文化的背景を超えて、万国共通の様式を持つべき」という考え方にありました。この思想の背景には、二つの重要な文化的潮流の合流がありました。

一つにヨーロッパで発展した「伝統からの芸術分離」という思想です。長い歴史に束縛されてきたヨーロッパの芸術家や建築家たちは、過去の様式や装飾から解放された新しい表現を模索していました。もう一つは、アメリカで育まれた「産業の効率化による機能主義」でした。大量生産と技術革新を背景に、実用性と合理性を重視するアメリカ独自のデザイン思想が成熟しつつありました。

西洋文化では、非対称でることが伝統からの離脱と捉える一面がありました。かつての宮殿では、人工的に整備された庭園。自然をも凌駕する権威性の象徴でした。

また西洋絵画の歴史を遡ると見えてくることもあります。かつて西洋美術史では、古典的な画風を賛美する時代と、反古典主義とが入れ違いに登場します。細かい箇所は本授業では割愛しますが、抑えていただきたいポイントとして、古典主義では調和と秩序を重視し、反古典主義では動きやドラマチックな演出がなされています。

さらに非装飾性を打ち出すのも、モダン建築の大きな要因となります。男性像は「アトラス」女性像は「エレクテイオン」と呼ばれ、神話を説明するための、装飾を超えたレリーフがなされていました。
国際様式は、アメリカが輸入した芸術概念

国際様式は1920年代に西ヨーロッパで始まった建築運動ですが、用語の成立はアメリカです。それを牽引したのがMoMAの展覧会でした。
MoMA(ニューヨーク近代美術館)の国際様式展

1932年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催された一つの展覧会が、20世紀建築史の流れを決定づけることになりました。「Modern Architecture: International Exhibition」と題されたこの展覧会は、単なる建築紹介イベントを超えて、文化史上極めて重要な意味を持つ出来事でした。
それまで美術館が建築をテーマにした展覧会を開催することは前例がありませんでした。絵画や彫刻といった伝統的な芸術作品ではなく、「建物」という巨大で実用的な構造物を美術館の展示空間で紹介する—この試み自体が革命的だったのです。しかも、展示されたのは古典的な歴史建築ではなく、当時まだ実験的とされていたヨーロッパの前衛建築群でした。

アメリカの建築界の変容
MoMAの戦略は長期的に大きな成果を上げました。1950年代から60年代にかけて、国際様式は確実にアメリカの主流建築様式となりました。特に企業建築の分野では、国際様式の「清潔で効率的で幾何学的な特質」が、アメリカ企業の「権力と進歩性の地位の象徴」として広く採用されました。そして、ルイス・サリヴァンの「形は機能に従う」という有名な標語や、シカゴ派建築の合理的な鉄骨構造に着目し、これらを国際様式の「アメリカ的前史」として位置づけたのです。
ニュー・バウハウス/米国に西洋の美学が輸入された例

1937年、シカゴに一つの革新的な学校が誕生しました。その名は「ニューバウハウス」(New Bauhaus)。この学校の設立は、単なる教育機関の開校を超えて、20世紀デザイン史における重要な文化的移植の瞬間でした。ナチス・ドイツの台頭によって故郷を追われたヨーロッパの教育者たちが、アメリカの地で新しい創造的実験を開始したのです。
モホリ=ナジ・ラースローが掲げたアメリカのバウハウス
ニューバウハウスを設立したのは、ラースロー・モホリ=ナジ(László Moholy-Nagy)でした。1895年にハンガリーで生まれた彼は、第一次世界大戦で負傷した経験から芸術の道に進み、1920年代初頭にドイツのバウハウスに参加しました。
特に注目すべきは、彼が写真を単なる記録媒体ではなく、新しい視覚表現の手段として捉えていたことです。フォトグラム(印画紙の上に物体を直接置いて感光させる技法)や多重露光などの実験的技法を駆使し、「ニュー・ビジョン」と呼ばれる新しい写真美学を確立しました。
後に資金難によりニュー・バウハウスは閉校しますが、その前衛的着眼はアメリカへ上陸したことでしょう。
アメリカに招かれ、亡命した西洋デザイナーたち

1930年代から1940年代にかけて、ヨーロッパから大西洋を渡ってアメリカへと向かった人々の中に、20世紀デザイン史を決定づける重要な人物たちがいました。彼らの多くは、ナチス・ドイツの台頭によって故郷を追われた「創造的亡命者」でした。しかし、単なる避難者ではありません。彼らは革新的なデザイン理論と実践経験を携えた文化の伝道者として、アメリカのデザイン界に革命的な変化をもたらしたのです。
この知的移住は、20世紀文化史における最も重要な「頭脳流出」の一つでした。ヨーロッパの損失は、アメリカの飛躍的な文化的発展となり、結果として世界のデザインの中心がヨーロッパからアメリカへと移行する転換点となったのです。
おわりに
1930年代のアメリカがデザイン史における重要な転換点でした。西洋の近代デザイン史が一時休戦し、またアメリカで新たなデザイン史が誕生したのです。
意志が受け継がれ、また新たな変化へと身を投じていく。この先に、現代デザイン史がより国際的に繋がり、多様な進化をみせていきます。

