もし、レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロ・ブオナローティという2人の天才が、同じ部屋の向かい合う壁に壁画を描いていたとしたら――?しかも、性格も芸術観も真逆なこの2人が、背中を預け合い、火花を散らしながらひとつのプロジェクトに挑んでいたとしたら?
実はそんな“芸術史上最大のコラボレーションであり、最大の対決”が、16世紀初頭のフィレンツェで本当に進行していたのです。彼らが描こうとしたのは、それぞれ《アンギアーリの戦い》《カッシーナの戦い》という2つの戦争画。しかし、どちらの作品も完成することはなく、やがて歴史のなかに埋もれていきました。本記事では、この幻の壁画計画の全貌を、
・なぜこの企画が生まれたのか
・レオナルドとミケランジェロはそれぞれどんな構想を持っていたのか
・なぜ未完に終わったのか
・今なお語り継がれる“壁の裏”の伝説とは何か
といった視点から、物語として、また美術史として丁寧に紐解いていきます。
ダ・ヴィンチとミケランジェロは“犬猿の仲”?
ダ・ヴィンチは調和や理性を重んじ、平面上に洗練された美を追求した人物。遠近法(スフマート)や解剖学を活かした表現を得意としていました。一方、ミケランジェロは筋肉美や立体的な迫力を好み、彫刻でも絵画でも大胆な肉体表現を追求しました。
性格も正反対。レオナルドはおしゃれで社交的、話術にも長けており、人々と関わることを楽しむ人物でした。ミケランジェロは寡黙で人付き合いが苦手。風呂も入らず靴下も脱がず、脱ぐと皮膚まで剥けたという逸話まであるほどです。
そんな二人が、なんと同じプロジェクトに参加し、向かい合う壁に壁画を描く計画があったのです。
プロジェクトの舞台:ヴェッキオ宮殿500人大広間

1504年、フィレンツェ共和国の指導者ピエロ・ソデリーニは、フィレンツェ市庁舎(ヴェッキオ宮殿)内の大会議室に壮大な壁画を計画します。その題材は、フィレンツェの軍事的勝利である2つの戦争を向かい合わせに描くことでした。それが《アンギアーリの戦い》(1440年)と《カッシナの戦い》(1364年)です。

これらの戦いは、フィレンツェ市民の士気を高め、共和国の栄光を讃えるにふさわしいモチーフでした。その壁画を任されたのが、当時すでに名声を博していたレオナルド・ダ・ヴィンチと、《ダビデ像》で注目を集めた若きミケランジェロ。
フィレンツェ市は、彼らを競わせることで最高傑作を生み出そうと目論んでいたのです。
《アンギアーリの戦い》:レオナルドの挑戦と失敗

レオナルドが描こうとしたのは、馬にまたがった騎士たちが旗を奪い合う、白熱の戦場シーン。複数の予備スケッチが残っており、兵士や馬の動きが綿密に構成されていました。しかし、レオナルドは実験的に”油絵具による壁画”を試み、下地にロウを混ぜた処理を施します。
この技法は乾きにくく、最終的には絵の具が垂れ落ちてしまい、作品は崩壊。レオナルドは壁の前に火鉢を並べて乾かそうとしますが、これが裏目に出て、上部はボロボロに。
結果、完成を断念しました。
にもかかわらず、彼の構図は強烈な印象を残し、後にルーベンスによる模写《旗争奪》などで今も知られています。
《カッシナの戦い》:ミケランジェロの未完の大作

ミケランジェロが構想したのは、戦争のはじまりの瞬間です。川で水浴びをしていたフィレンツェ兵が、敵の奇襲に驚き、次々と川から飛び出し武装する瞬間。全裸の兵士たちが驚き、急ぎ、躍動する様子は、彼が得意とする筋肉美とダイナミズムの見せどころ。
習作スケッチからは、まさに”ミケランジェロらしい”エネルギッシュな群像劇が展開されていたことがうかがえます。

しかし彼もまた、ローマ教皇ユリウス2世からの召喚によりローマへ向かうことになり、制作は中断。壁画はついに着手されることはありませんでした。
ダ・ヴィンチとミケランジェロの壁画が未完に終わった理由とは?

レオナルドの壁画《アンギアーリの戦い》が未完に終わった主な理由は、技術的な失敗でした。
彼は伝統的なフレスコ技法ではなく、油絵具を使って壁に描くという実験的手法に挑戦しましたが、乾きが遅く、絵具が垂れて崩れてしまいました。
焦ったレオナルドは、火鉢を並べて壁を乾かそうとしましたが、これも逆効果。最終的に上半分は溶け落ち、彼は制作を断念します。
一方、ミケランジェロが描こうとしていた《カッシーナの戦い》は、実際には壁に描かれる前の下絵(カルトン)段階で中断されました。その理由は、ローマ教皇ユリウス2世からの突然の召喚。教皇は、自らの壮大な墓所を制作するプロジェクトのため、若き天才ミケランジェロをローマに呼び寄せます。

政治的にも教皇の命令は絶対で、フィレンツェ共和国としてもそれに逆らうことはできず、ミケランジェロは壁画を放棄せざるを得なかったのです。
さらに追い打ちをかけたのが、1512年の政変でした。
この年、メディチ家がスペイン軍の力を借りてフィレンツェに復帰。それまでソデリーニ政権下の共和政の象徴として進められていたこの壁画プロジェクトは、一転して新政権には不要な“過去の政治的遺産”となってしまいます。レオナルドの崩れた壁画も、ミケランジェロの下絵も、そのまま放置されることとなりました。
そして、もうひとつ語り継がれるのが、下絵の“消失事件”です。
ミケランジェロが残した巨大なカルトンは、同時代の芸術家たちにとってまさに「美術学校そのもの」と呼ばれるほどの名作でした。若きラファエロやポントルモ、アンドレア・デル・サルトらが模写に通い詰め、次世代の画家たちに計り知れない影響を与えます。ところが、1512年の政変直後、混乱の中でこのカルトンはバラバラに切り裂かれてしまったのです。
最も有名な説は、ミケランジェロに強いライバル心と嫉妬心を抱いていた彫刻家バルトロメオ・バンディネッリが、自らの手で破いたというもの。彼はミケランジェロの才能に劣等感を抱き、嫉妬からその遺産を消し去ろうとしたとも言われています。

この逸話はジョルジョ・ヴァザーリの『画家・彫刻家・建築家列伝(1550年版)』に記されており、当時から「美術界最大の破壊行為」として語り継がれてきました。ただし、ヴァザーリはこの記述を後年の改訂版(1568年)では削除しており、真偽については意見が分かれます。
一部では「熱心な若手芸術家たちが模写用に奪い合って破れてしまった」という説もありますが、いずれにせよ、ミケランジェロのカルトンは現存していません。
こうして、政治、嫉妬、そして技術の限界――あらゆる不運が重なったことで、レオナルドとミケランジェロの“幻の壁画計画”は、完成することなく歴史に消えていったのです。
そして幻に:壁の裏に残るダ・ヴィンチの痕跡?

16世紀半ば、コジモ1世メディチが広間の壁画を塗り替えさせると、2人の壁画は跡形もなく姿を消します。
しかし21世紀になって、マウリツィオ・セラチーニ教授が、「ダ・ヴィンチの壁画は実は壁の裏にあるのでは?」という仮説を提示。壁画の一部に「CERCA TROVA(探せ、されば見出さん)」という文字が書かれており、これがレオナルドの痕跡ではないかと話題になりました。

イタリアのバイオエンジニアであり文化遺産科学の先駆者、マウリツィオ・セラチーニは《アンギアーリの戦い》の行方を追って、ある仮説を打ち出しました。 それは、レオナルドの壁画はヴァザーリによって破壊されたのではなく、壁の奥に隠されたのではないかという大胆なものです。
セラチーニは、1975年にレオナルド研究の第一人者カルロ・ペドレッティ教授と出会い、技術の力でこの謎を解き明かすよう依頼されたことをきっかけに、長年この壁画を追い続けてきました。

ヴァザーリが同時代の偉大な画家レオナルドを敬愛していたことに注目したのです。 実際、彼は過去にもマザッチオの作品などを壊さず、前に新たな壁を作って保護した例があるのです。 この事実から、ヴァザーリは《アンギアーリの戦い》を保存するために一枚手前に新たな壁を作り、オリジナルを密かに残したのではないかと推理されました。
決定的な鍵となったのが、ヴァザーリが描いた壁画の中に発見された不思議な言葉―― 「CERCA TROVA(探せ、されば見出さん)」という文字です。 この言葉が描かれていたのは、戦いの軍旗の一部。肉眼ではほとんど見えないほど小さな文字でした。 これはセラチーニにとって、「ここにレオナルドの作品がある」というヴァザーリから後世への暗号に他ならないと考えられました。

2000年代に入り、彼のチームは電磁波探査や熱赤外線、X線、さらには内視鏡カメラなどの技術を用い、壁の内側を調査。 その結果、実際に現在の壁の背後に空間(インテルカペディネ)が存在することが判明しました。 2011年には4mmの極小カメラを差し込むことに成功し、そこから黒や赤茶色の顔料の粒子を採取。 これらの顔料の化学組成は、他のレオナルド作品に使われたものと非常に近似していたのです。
つまり、少なくともその壁の裏に他の画家によるものではない、時代にそぐわぬ顔料が存在することが確かめられた。 その事実は「壁の奥に、レオナルドの《アンギアーリの戦い》の痕跡がある可能性が高い」という証左として、世界中の注目を集めました。

しかし、調査は2012年に突如中止されます。 理由は、表面に描かれたヴァザーリの壁画そのものが文化財として極めて重要であり、それを傷つけるリスクを避けるためでした。 学術界からも賛否が分かれ、調査継続には至っていません。
現在も「レオナルドの壁画は本当に隠されているのか?」という問いは未解決のままです。 けれど、「CERCA TROVA」というたったひとことが、芸術と科学、そして人間の好奇心をここまで動かしたという事実。 それこそが、この壁画にまつわる物語が今なお語り継がれる理由なのかもしれません。
終わりに
この壮大な壁画プロジェクトは、完成しなかったからこそ、伝説となりました。最後のヴァザーリの粋なはからいが真実だとしたら、これほど興奮することはないですね。いつか私達も、その壁の向こう側の《空間》を拝むことができるのでしょうか。
レオナルドとミケランジェロ、2人の天才が火花を散らした幻の芸術対決――あなたなら、この未完の壁画を前に、彼らにどんな言葉をかけてみたいですか?