バチカン美術館の至宝、カラヴァッジョ《キリストの埋葬》が、現在開催中の大阪・関西万博にて特別展示されています。
この一枚は、単なる宗教画という枠組みを超え、17世紀における絵画表現の転換点を象徴する作品です。
画面に描かれるのは、墓へと運ばれるキリストの遺体。その場面に奇跡や神秘性はなく、あるのは、無言で彼を見送る人々の戸惑いや疲労、そして沈黙です。神を神としてではなく、人として描く。その視点こそが、この絵の革新性であり、今日でも観る者に強い問いを投げかけてきます。
本記事では、《キリストの埋葬》が美術史においていかなる意味を持つのか、そしてなぜこの作品が今なお人々を惹きつけ続けているのかを、カラヴァッジョの画業とともに読み解いていきます。
比較で見える革新性――ペルジーノとカラヴァッジョの「哀悼」

ペルジーノはルネサンス期に活躍した芸術家です。この作品は、構図・空間・感情表現のすべてにおいて、《キリストの埋葬》とは正反対の美学に基づいて描かれています。同じテーマで描かれた二枚の作品。そのため登場人物や伝えたい教えは同じのはずです。比較することでカラヴァッジョの革新性が見えてくるでしょう。

しかしペルジーノの作品では、キリストの遺体は画面の中央に水平に安置され、その周囲を囲む人物たちは、左右対称に配置されています。背景には広大な風景が描かれ、構図全体には静けさと均衡、秩序が貫かれています。
登場人物たちは深い悲しみを表現していますが、それはあくまで抑制された、理想化された感情として視覚化されており、観る者に静かな祈りを促すような宗教的高揚感を生み出しています。

一方、カラヴァッジョの《キリストの埋葬》には、そうした均整や秩序は存在しません。背景は黒一色。人物の配置は非対称で、各人の感情は交わらず、沈黙が画面を支配します。
最も異なるのは、「視点の位置」です。ペルジーノでは鑑賞者は構図を俯瞰する立場に置かれていますが、カラヴァッジョでは鑑賞者が“墓の中にいる”ような視点が設定されています。
この違いは、単なる様式の差ではありません。
ペルジーノが描いたのは、「キリストの死を共有する共同体の信仰」。カラヴァッジョが描いたのは、「個として、神の死と向き合わざるを得ない人間の現実」。両者の間には、絵画の役割に対する根本的な態度の違いが見られるのです。
この比較を通して見えてくるのは、カラヴァッジョが意図した真実とは、単なる写実ではなく、鑑賞者の身体と感情を絵の中に巻き込むような、没入型の視覚体験であったということです。
神を人として描くという選択――カラヴァッジョの生涯と《埋葬》

カラヴァッジョ(本名:ミケランジェロ・メリージ)は、1571年にロンバルディア地方の小都市で生まれました。若くして両親を失い、ミラノで画家修業を始めた彼は、理想美と宗教的象徴が支配する当時の画壇に、早くから違和感を抱いていたとされています。1590年代半ばにローマへ移り、庶民をモデルとした写実的な風俗画によって徐々に注目を集めていきました。

転機となったのは、聖ルイジ・デイ・フランチェージ教会から依頼された《聖マタイ三部作》です。彼はこの中で、イエスを現代風の酒場に登場させ、聖人たちをあくまで現実の労働者のように描きました。このような描写は、それまでの理想化された宗教画とは一線を画しており、バロック初期における劇的な革新の象徴となりました。

《キリストの埋葬》が描かれたのは、1603年から1604年にかけて、彼が宗教画家として最も高く評価されていた時期です。作品は、ローマのキエーザ・ヌオーヴァ(サンタ・マリア・イン・ヴァッリチェッラ教会)の礼拝堂に飾られる祭壇画として制作されました。同時期のカトリック教会は、トリエント公会議後の改革方針により、聖画に対して「情動を喚起すること」が求められており、カラヴァッジョの表現はこの要請にも合致していたといえます。
しかしながら、この作品には彼自身の個人的な経験も深く反映されていると考えられます。当時のカラヴァッジョは、たびたび暴力事件に関与し、法的な問題を抱えながら不安定な生活を送っていました。そのような状況下で描かれた本作には、単なる宗教的敬虔さではなく、死を目前にした肉体の重みや、どうしようもない沈黙、触れがたい距離感が、あまりにも現実的に描き出されています。

カラヴァッジョは、自らの生活と倫理的な葛藤のなかで、宗教的象徴性ではなく、日常的で現実的な人間の姿を描こうとしました。その集大成のひとつが、この《キリストの埋葬》なのです。
忘れられ、そして甦った画家──死後の評価と現代における意義
カラヴァッジョは1610年、わずか38歳でその波乱に満ちた生涯を閉じました。恩赦を受けてローマへ戻る途中、原因不明の体調悪化によって突如として命を落としたと伝えられています。死後、彼の作品は一部の模倣者を除いて急速に忘れ去られ、18世紀以降の美術史からは長らく省みられなくなりました。
その最大の理由は、彼の描いた主題やスタイルが、当時の美術界の主流から逸脱していたことにあります。理想化された神々や英雄、洗練された構図や明快な寓意が求められていた時代において、カラヴァッジョの作品はあまりにも“生々しく”“現実的すぎた”のです。

しかし19世紀末から20世紀にかけて、リアリズムや象徴主義の興隆、そしてモダンアートにおける“現実の再発見”という潮流のなかで、彼の存在が再評価されるようになります。とりわけ、美術史家ロベルト・ロンギが1930年代に行った研究によって、カラヴァッジョはバロックの創始者、さらには近代絵画の先駆者として再び注目を浴びるようになりました。
現代において、彼の作品は単に写実的であるという理由だけで評価されているわけではありません。カラヴァッジョが行ったのは、神や聖人の姿を現実に引き下ろし、私たちと同じ重力の中に生きる存在として描くことでした。そこには、信仰を“遠くに仰ぎ見るもの”ではなく、“目の前で触れようとするもの”として再定義する姿勢が見られます。
彼の描く光と影は、単なる視覚的演出ではなく、人間の内面と社会の断絶、そして死という根源的なテーマに真正面から向き合った結果として生まれた表現です。だからこそ、現代を生きる私たちが彼の絵を見たとき、そこに単なる宗教画以上の意味を見出すのです。
2025年の大阪・関西万博での展示は、カラヴァッジョの《キリストの埋葬》を改めて現代の文脈で見直す、きわめて貴重な機会だといえるでしょう。単なる「名画」ではなく、今なお私たちの存在を問い直す絵画として、この一枚は生き続けています。
おわりに
カラヴァッジョの《キリストの埋葬》は、私たちに問いを投げかける絵画です。
それは「この出来事を信じるか」といった宗教的信念の確認ではなく、「あなたは、目の前にあるこの沈黙にどう向き合うか」という、もっと根源的で個人的な問いです。
神を神としてではなく、人として描いたこと。理想的な安らぎではなく、重さと痛みを残したまま死を描いたこと。カラヴァッジョの選択は、宗教画というジャンルの中で極めて異質でありながら、見る者の心に深く入り込む力を持っています。
遠い時代の画家が遺した一枚の絵が、いまこの瞬間にもなお、誰かの思考を揺さぶり続けている。
その事実そのものが、芸術という営みの強さを物語っているのかもしれません。
この作品が、神や歴史にまつわる話としてだけでなく、ひとりの人間が“別れ”や“喪失”と向き合う場面として、読者の心に残ることを願っています。
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