04/カメラと写真の衝撃

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20世紀/抽象表現とデザインの時代

近代美術を語る上で欠かせない存在はカメラ、あるいは写真の登場です。カメラの原型というとかなり昔から、またカメラの概念が登場する以前から西洋では虚像を実像の境を曖昧にするような取り組みをしていました。

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西洋美術における写実への取り組み

世界最古の絵画
ブロンボス洞窟

現状で世界最古の絵と言われているのは約7万3000年前のブロンボス洞窟です。黄土色のクレヨンを使用しハッシュタグのような跡が残っています。

リアン・テドング洞窟

より「絵」とわかる壁画に約4万5500年前のリアン・テドング洞窟壁画があります。手の跡がのこっていますが、雄のイボイノシシが描かれています。

ラスコー洞窟壁画

ラスコーの洞窟壁画やショーヴェ洞窟壁画は古代の壁画として有名なものの1つです。ラスコー洞窟は約2万年前、ショーヴェ洞窟は約3万7000年前に描かれたとされており、いずれも炭のような黒い筆で描かれています。

現在我々が想像する写実性とは離れているように感じますが、骨格がしっかり伝わり対象の動物がどのように動くかが性格に描写されているといいます。また動物の顔を多く描くことで、狩猟時代の情報共有に使わていたかもしれない。また神話・信仰による強いつながりを持った旧石器時代の社会は4万年前から1万2千年前まで続いたとされるが、それらのつながりもうかがえます。

ショーヴェ洞窟の壁画
古代ギリシャ・ローマ文化

古代ギリシャ時代は少しづつ写実に向かう様子が伺えます。「エフェポス像」のようなアルカイック期の彫刻では写実的な肉体が再現されはじめ、クラシック期ヘレニズム期と進むうちより自然なポーズへと進化していきます。

このように、片足に重心をかけ人物に動きを与える表現のことを、コントラポストと呼びます。体の軸がズレ、S字を描くのが特徴であり、西洋の古典彫刻から見られ、ルネサンスで継承されました。

キリスト教の教えにしたがい、写実を離れる中世
聖母マリアと幼子イエス、聖人と天使たちを描いた玉座の聖像、6世紀、シナイの聖カタリナ修道院

392年、テオドシウス1世(テオドシウス大帝)がアタナシウス派のキリスト教を唯一の宗教とし、それ以外を完全に禁止したことにより、キリスト教が国教化しました。

以降の西洋美術では長く偶像崇拝の教えにしたがい、写実的な描写ではなく、イコンと呼ばれる聖画像を用います。崇拝対象が絵画そのものではなく、イコンの向こう側にいる神を崇拝する。イコンは神や聖人と向き合うための媒介(窓)であるという考え方です

イコンの様式は、授業でも触れられたように、中世のビザンティン美術において発展しました。

古典美術を再生させたルネサンス期

非日常的体験に写実を取り込む初期ルネサンス期

古代ギリシャ・ローマ文化が再評価され、写実性を再獲得します。初期ルネサンス期には手前と奥のかき分けや顔の細かな描写が付与されました。とはいえまだビザンティン美術の様式が残っている部分もあります。

中世の教会には宗教信仰をより深くする目的があるため、私生活と違う空間再現がなされています。教会内部は金色のモザイクや壁画で豪華に装飾されました。これは現世とは隔絶された非日常的な体験を信者に提供し、神の威厳と教を浸透させるための演出の一部でもあったのです

授業では触れなかったものの、5c~15C頃のビザンティン美術の他に、10c~12Cにはロマネスク美術、12c~15cゴシック美術が誕生し、特に建築様式の変化が顕著に見られます。

肉体美と精神美を融合させた盛期ルネサンス期

盛期ルネサンス期イタリアのルネサンス(再生)運動が頂点に達した約30年間、おおよそ1490年代後半から1527年頃までの期間を指します。この時期は、芸術が完全な調和、理想的な美、そして技術的な完成度を達成したと見なされ、西洋美術史における古典的な規範(クラシック)を確立しました。

古典で勝ち取った写実的な描写技術(遠近法や人体解剖学)は維持しつつも、それらを単なる現実の再現ではなく、精神的な崇高さを伴う理想化された姿を描くために用いられました。古代ギリシャ・ローマ美術の肉体美と、キリスト教で培った精神的美の融合を図ったのです

教えがマンネリ化したマニエリスム

マニエリスムは、盛期ルネサンス(1490年代後半〜1527年頃)の後に現れた西洋美術の様式で、おおよそ1520年代から1600年頃まで続きました

ルネサンスの三大巨匠(ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ)が達成した理想的な調和と安定に対する反動として発生し、「様式(マニエラ/Maniera)」を意味するイタリア語に由来します。様式を意識するがあまり、人体のプロポーションが意図的に引き伸ばされたり、不自然にねじれたりなどがみられました。また穏やかで落ち着いたルネサンスの感情表現に対し、マニエリスムは感情的で誇張された身振りや、緊張感、優雅さを強調しています。

以上、西洋美術の大きな流れをみてきました。これらからわかるように、一時はキリスト教の教えにしたがい1000年近く写実を離れた時代もありましたが、大きく現実や虚像を再現するような取り組みが行われています。

しかし、世界の美術様式を見ると、この現象がかなり特殊なものだというのがわかるのです。

写実ではない真実を描写するための美術様式の例

古代エジプト絵画が描く人間描写
フネフェルの死者の書 紀元前1275年頃大英博物館

古代エジプト壁画には、神に見せる厳かなものであり、絵師に義務付けられた厳格な約束事(カノン)がありました。これによし、3000年もの間絵柄がほぼ変わることもなく、エジプト絵画がパターン化されていったのです。

このカノンには、「人(手足の長さなど)」や「身分」などの情報を正しく記録し伝えるための絵画法と言えます。決められた描き方以外の新しい創作的な絵が虚偽と見なされ死罪となりました。

横顔と正面の体、横向きの足。これらは現実に見える姿よりも人体の各部位が最も明瞭に、かつ本質的に見える角度を組み合わせて描かれています。

ペルシア美術で見られる本質的に見える人体描写の考え方
アッシリアの王宮の門に置かれた人頭有翼雄牛像(ラマス像)B.C.721 / B.C.705(新アッシリア:サルゴン2世)

守護神として魔除けの役割をした巨大な半身半獣の像、ラマス像。下半身は雄牛、またはライオンの姿をしていますが、よく見ると前足の数が多いようです。

これは門の正面からみた時の真実性と、門に入る内部から見た時の真実性を表現しており、これも西洋美術では見られない表現方法を用いています。

時間の流れや人の機微に真実性を見出す日本美術
春日権現験記3-1

日本の古典的な絵画「大和絵(唐絵の対象として呼ばれる呼び名)」には吹抜屋台という絵画表現を用いています。これは巻物を用い、物語が右から左に進むアニメーションのような表現方法を採用していることもあり、屋外と屋内を同時に描写する視点として使われています。

細密画(ミニアチュール)で描くインド ムガル壁画

インドではムガル帝国の宮廷を中心に発達したミニアチュール (細密画)があります 。ペルシアの伝統をふまえて宮廷人の肖像や狩猟の様子、花鳥などを透視的遠近法や陰影を用いて写実的かつ現実的に描いています。

視点がかなり高く天から煽りで描き、壁一面に緻密な絵画表現がなされています。

見たままの描写ではなく、創造された中国の景色
早春図、北宋、郭煕

神や霊獣の住まう所を描いた山水表現は中国、秦・漢時代から盛んに行われていました。山水画における真実性とは、見たままの風景ではなく、風景の精神性や本質、さらに画家の内面的な世界を表現するものです

中国を含む東洋文化では、神や精霊は直接みてはならないものとされていました。そこで山水画は神を直接描写するのではなく、神の住まう深淵な自然を描くことで神の存在や宇宙の壮大さを象徴していたのです。

中国では、絵画に生命力が宿っていることが最高の価値と捉えていました。そのため文人画の逸話には時折、描いた鳥が羽ばたいてしまったとか、描いた馬が逃げ出さないよう馬小屋に飾ったなど、まるで生きているかのようなものが多く残っています。

カメラの原型はいつから生まれたのか?

アリストテレスは紀元前4盛期に、日食を観察する際ピンホール現象のような記述を残しています。彼は、木々の葉の隙間四角い穴を通して地面にできる太陽の光の像が、穴の形に関わらず、常に円形になることに気づいたのです。この現象を光の屈折や交差によって説明しようと試みましたが、現代のカメラ的なものへの関心の始まりともいえるでしょう。

またユーグリット「視学」には幾何学的な視覚論が記され「最古の光学書」とも言われています。それ以前は目に見えるためには光が必要であることがそもそも繋がっていませんでした。

ピンホールカメラ(カメラ・オブスクラ)
17世紀のカメラ・オブスクラ

小さな穴を通る光によって虚像を映す現状は、東西において古代から知られていました。先行するのは春秋時代の中国でしたが、体系的な幾何光学の理論が成立することはありませんでした。

15世紀には虚像をトレースするなど、カメラ・オブスクラを活用する動きも見られます。レオナルド・ダ・ビンチは写生に利用していました。

視点の固定が産んだ正確性と限定性
アルブレヒト・デューラー「横たわる女を素描する人」

デッサンでよくよく活用されるデスケルには、自然な身体性を制御する視点の固定を顕著にあらわしたものとなりました。芸術家は目線がぶれないよう工夫し、格子状の窓を正確に書き取ろうと取り組んでいます。

『聖三位一体』(1427年頃)サンタ・マリア・ノヴェッラ教会

マザッチョが描いた「三位一体」には、一点透視図法が確立したことが読み取れます。マザッチョは建築家であるフィリッポ・ブルネレスキの考えに協力し、このような透視図法を仕上げました。ちょうどイエスの足元に消失点が来るよう構成されています。

これにより、比較的誰でも立体感のある描写がなせるようになりました

ヤン・ファン・エイク『ファン・デル・パーレの聖母子』(1434年)グルーニング美術館 ※青線は加筆

透視図法が比較的誰でも描けるとはどういった理由でしょうか。

ヤン・ファン・エイクの『ファン・デル・パーレの聖母子』には、それら器具や図法を使っていない痕跡が残っています。視点が固定されておらず、床を見れば首の角度は少し傾き、また柱を見れば目線が横に流れる。その描写がそのまま絵画に残っている事がわかります。

このような絵画表現を全ての芸術家ができるわけではありません。ヤン・ファン・エイクだからできると言ってもいいわけであり、それ以外の歴史に残らない数多の芸術家もちゃんと仕事をしていたわけですから。

最後の晩餐の空間再現

一点透視図法には欠点もあります。『最後の晩餐』はだだっ広い空間の不思議な位置に長机を設置し、イエスと12人の使徒が食事をしているのですが、イエスたちの後ろ側はなにもない空間が広がってしまっていました。

ダビンチは実際に広がる手前の食堂と繋がるよう、あえてこの表現をしているのですが、一点透視図法の欠点としては不要な広い空間が生まれてしまうことにあります

それを防ぐため、例えばジブリ作品の描写には明確な一点ではなく、おおよそこの辺が消失点などといったゆるやかな透視図法を用いているといいます。狭い日本家屋を表現する工夫ですね。



手持ち式カメラ・オブスクラの使い方

広く暗い部屋に小さな穴を開けぼやけた虚像を映すかつてのカメラ・オブスクラから発展したのは、レンズ、またはミラーが導入されてからでした。

カメラ・オブスクラは小型化し、鮮明に映すことができるようになりました。これにより芸術家においてはより活用の場が広がったことでしょう。

カナレット『サン・マルコ広場から大聖堂へ向かって 』1735

携帯用カメラ・オブスクラを用いたのではないか言われる芸術家の一人にカナレット(ジョバンニ・アントーニオ・カナール)がいます。ヴェネツィアの風景画を多く残した芸術家で、写真のような絵を多く残しました。

時が止まったかのような身体性の欠ける目線固定と、正確な一点透視図法が読み取れます。

ヨハネス・フェルメール『牛乳を注ぐ女』

カメラ・オブスクラは意外な副産物をのこしました。

ポワンティエ(点綴技法)は、光の反射により生まれた白点をそのまま描写した表現のことです。これはフェルメール作品のいくつかに見られる絵画表現であり、実像を観察するだけでは生まれない、カメラ・オブスクラ越しに見た景色だから生まれたものといえるでしょう

ヨハネス・フェルメール『デルフト眺望』1660年 – 1661年頃
部分

以上、カメラの原型である虚像の観察が生んだ西洋絵画の変遷を見てきました。写実への関心が加速し、線的遠近法などが確立され、さらにポワンティエといった新たな表現が生まれたのです。

写真の衝撃と絵画事業の収縮

初の実用的な写真を完成させたのは、ダゲレオタイプを作ったルイ・ジャック・マンデ・ダゲールです。彼は精度の高い写真を完成させ、ダゲレオタイプは広く普及することとなりました。

それまで肖像画ビジネスは芸術家の手腕で成り立っていましたが、より安価で速く仕上がる写真に置き換わり、芸術家の依頼は激減。さらに絵画そのものの存在意義に疑問を持たれるいち要因となってしまったのです。

撮影の様子

19世紀の主な写真印刷技法

世界初の持続的な写真技法、ヘリオグラフィー

世界初の持続的な写真技術というとヘリオグラフィー(Heliography)があります。ニセフォール・ニエプスが発明し、直接露光による単一点のポジティブ像が特徴です。1826年か1827年ごろに撮影された『ル・グラの窓からの眺め』はヘリオグラフィーで撮影された写真です。

アスファルトの一種を塗布した金属板を使用、光が当たった部分が硬化し、非硬化部分を溶剤で洗い流すことで、像を定着させました。しかしアスファルトからも想像できるとおり、画質も粗く、露光時間が極めて長いのが難点でした。

一躍人気を博したダゲレオタイプ

直接露光による単一点のポジティブ像がダゲレオタイプです。像は非常に鮮明で精細ですが、鏡像になります磨かれた銀メッキの銅板をヨウ素蒸気で感光させ、水銀蒸気で現像する技術であり、世界的に普及しました。

しかし複製が出来ない一点ものであるため、現在は使用されていません。

写ルンですと同じ、カロタイプ

初の複製できる写真が登場しました。塩化銀を感光剤として塗布した(紙ネガ)を使用。露光後、現像してネガ像を作り、このネガを介して複数のポジ像(プリント)を焼き付けます。これはポジティブ像とちがいネガ・ポジ方式と呼ばれ、ダゲレオタイプより実用的でした。

当時はダゲレオタイプのほうが鮮明に映るため影に隠れていましたが、後に長く愛される技法となったのです。

ガラスに映す、アンブロタイプ

ガラス板に感光剤(コロディオン)を塗布し、露光・現像してネガ像を得ますが、そのガラス板の裏に黒い布やニスを置くことで、ネガ像がポジティブに見えるようにした技術です。

ダゲレオタイプより安価で、ガラスベースのため鮮明さも高かったですが、複製は不可能でした。さらにガラスを使用するため壊れやすいという欠点もありました。

「カメラ」は西洋絵画を発展させ、「写真」は衰退させた

西洋文化においてカメラ、または写真の存在はとてもおおきなものでした。

実像と虚像の境が曖昧になることにより、人々の認識を大きく揺るがしたことでしょう。絵のあるべき姿、真実の映し方は他の国と比べより写実的であることに力を注いでいました。だからこそ、他の文化と比べ物にならないほど、写真の商品化には大きな影響を受けたことでしょう。

例えば日本だったら?写真の素晴らしさとイラストの素晴らしさは必ずしも同一ではありません。部分的に合致するかもしれませんが、写真が生まれたからといってイラストの需要が全く無くなったわけではありませんでした。

西洋文化においても、実は写真が生まれたからといってなにもかもがなくなったわけではありません。かつて芸術家と呼ばれた職種の一部はデザイナーという肩書に変化し、今なお活躍し続けています。

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