当時の画家は何を目的に絵画を描き、残したのか

この回の授業は「カメラの起源」という観点から、洞窟壁画からスマホまで幅広く扱いました。質問者さんは授業感想で19世紀の写真印刷技法、特にカロタイプに関心を示していたため、ここでは19世紀を「当時」と解釈しておきたいと思います。

19世紀の画家が絵を描く目的は多岐にわたります。肖像画を残すため、サロンに出品するため、売るため、技術を磨くため、あるいは趣味として。写真が登場しても、それらの目的は残ります。

また、質問にある「描き、残した」は、二つに分けて考えてみましょう。「何のために描いたか」と「なぜ現代まで残ったか」では、問うていることが異なるからです。現代の私たちは「残ったもの」しか見られないことも踏まえなければならないでしょう。

ここでは、二つの観点から答えることにしましょう。一つは「写真に置き換わった需要とそうでないものがある」。もう一つは「次世代の可能性を模索した」ということです。

目次
  1. 写真に置き換わった需要と、そうでないものがある
  2. 自ら学び発想を広げる絵画
  3. 次世代の絵画の可能性を模索した
  4. 写真が生まれた後も、描く目的は変化しながら続いた

写真に置き換わった需要と、そうでないものがある

リチャード・コズウェイ《自画像》、1770〜1775年頃、メトロポリタン美術館(写真登場以前の肖像ミニアチュールの例)
画像:リチャード・コズウェイ《自画像》、1770〜1775年頃、メトロポリタン美術館(写真登場以前の肖像ミニアチュールの例) ※6

写真の登場により、絵画の需要に変化が起きたことは確かです。例えば、持ち運べる小さな肖像画である「肖像ミニアチュール」。家族や大切な人の姿を手元に置くために作られてきましたが、写真の普及によって需要が衰えていきました。人の姿を比較的安価に記録できる写真が、肖像画の需要の一部を担うようになったのです。ヴィクトリア&アルバート博物館は、1865年の展覧会カタログに、安価な写真技法の前で肖像ミニアチュールが衰退したことを憂う記述があると紹介しています。※1

肖像画がなくなったわけではありませんが、人の姿を残したいという需要の一部に、写真が応えるようになりました。

写真があっても、肖像画を注文する人はいた

ルノワール《シャルパンティエ夫人と子どもたち》、1878年、メトロポリタン美術館
画像:ルノワール《シャルパンティエ夫人と子どもたち》、1878年、メトロポリタン美術館 ※7

一例として、ルノワールの《シャルパンティエ夫人と子どもたち》(1878年)を見てみます。これは写真がすでに使われていた時代の肖像画です。ジョルジュ・シャルパンティエは、エミール・ゾラらの著作を刊行した出版人であり、印象派の画家たちを支援した人物でもあります。シャルパンティエ家の肖像画はいくつも残っています。また、妻のマルグリットも画家たちとの親交を深めました。※2

つまるところ、夫妻は芸術家を支えるパトロンでした。気に入った画家を支援することと、自分や家族の絵を描いてもらう楽しみが結びついていたため、肖像画を注文したと考えられます。これは写真とは違う魅力の一つです。

自ら学び発想を広げる絵画

アンリ・ルソー《第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神》、1905〜1906年、東京国立近代美術館
画像:アンリ・ルソー《第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神》、1905〜1906年、東京国立近代美術館 ※8

さらに、技術を磨くための習作や、自分で楽しむための制作まで、写真が代わりに行ってくれるわけではありません。

19世紀から活動した画家の例として、20世紀初めの作品も一つ見てみましょう。アンリ・ルソーの《第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神》(1905〜1906年)は、無審査のアンデパンダン展に参加する画家たちを描いた作品です。この絵からは、自らも参加する展覧会を盛り上げようとする姿勢が感じられます。※5

正規の美術教育を受けていないルソーは、1886年からアンデパンダン展にほぼ毎年出品していました。この作品には、発表の場への愛着や感謝も表れているように思います。※5

ルソーにとって絵を描く目的というものは何でしょうか。むしろ私は絵を描くことそのものが目的であるような、そんな自由でのびのびとした創作意欲を感じます。

次世代の絵画の可能性を模索した

ドガ《ダンス教室》、1874年、メトロポリタン美術館
画像:ドガ《ダンス教室》、1874年、メトロポリタン美術館 ※9

もう一つは、新しい表現を探るために描いた画家たちもいたということです。

その中で、写真は絵画と競合するだけでなく、画家に新しい見方を与えるものにもなりました。ティッセン=ボルネミッサ国立美術館は、写真がマネやドガ、印象派の画家たちを刺激し、光の観察や非対称な構図、画面の切り取り方などにも関わったと説明しています。※3

写真にできることを避けて、絵画が別の道へ進んだだけではありません。写真を見て「こんなふうに世界を切り取れるのか」と考え、絵画の表現に取り込む関係もあったのです。

新しい表現も、発表しなければ届かない

ベルト・モリゾ《ゆりかご》、1872年、オルセー美術館(1874年の第1回印象派展出品作)
画像:ベルト・モリゾ《ゆりかご》、1872年、オルセー美術館(1874年の第1回印象派展出品作) ※10

新しい描き方を試すことと、作品を売ることも、切り離せません。印象派の画家たちは独自の展覧会を開き、作品を発表しました。1874年の最初の展覧会を皮切りに、1886年までに計8回開催されています。※4

描いてみたいものがある。それを人に見てもらいたいし、できるなら買ってもらいたい。新しい表現を探る気持ちと、画家として活動を続けるための目的は、一人の中でも重なります。「収入のためか、表現のためか」のどちらかに決める必要はないでしょう。

写真が生まれた後も、描く目的は変化しながら続いた

モネ《印象・日の出》、1872年、マルモッタン・モネ美術館
画像:モネ《印象・日の出》、1872年、マルモッタン・モネ美術館 ※11

冒頭で挙げた二つの答えに戻りましょう。一つは、人の姿を手元に置くといった需要の一部は写真へ移っても、絵画として所有したい、制作の技術を学びたいといった目的までなくなったわけではないということです。

もう一つは、写真も含む新しい環境から刺激を受け、絵画の主題や見せ方を探る画家たちがいたということです。描くことには、すでに求められている仕事に応える面と、まだ見たことのない表現を試す面がありました。

新しい技術が登場したとき、それまでの仕事の一部が置き換わることはあります。でも、同時に、その技術を使って何をしようかと考える人もいます。19世紀の画家たちの仕事を見ると、描く目的も、周囲の技術や社会とともに変化していたことが見えてきますね。

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