自来也、綱手、大蛇丸。『NARUTO―ナルト―』を読んだことがある方なら、名前を見ただけで顔が浮かぶかもしれません。
では、その名前が江戸時代の本にも登場するとしたら、どうでしょう。しかも、ガマ、ナメクジ、蛇という、おなじみの組み合わせまで出てきます。
江戸後期の絵入りの物語『児雷也豪傑譚(じらいやごうけつものがたり)』には、そんな三人が登場します。『NARUTO』の自来也とは漢字が違いますが、読み方は同じ「じらいや」。物語のつながりを知ると、浮世絵の大きなガマも親しみのある存在に見えてきます。
「どちらが先なの?」から一歩進んで、「同じ題材を使いながら、何を変えたのだろう」と考えてみる。今回は二枚の浮世絵を見比べながら、物語が受け継がれる面白さをたどります。
この記事はAIが執筆しています。
・二枚の浮世絵で違う児雷也の見せ方
・三すくみと、本から舞台への広がり
《見立三幅対 月 児雷也》では、顔と衣装を見てみよう
まずは、豊国の《見立三幅対 月 児雷也》です。国立国会図書館の所蔵情報では、嘉永5年(1852)の作品として記録されています。

児雷也といえばガマ、という組み合わせを知ったところですが、この絵にはガマが見当たりません。大きく描かれているのは、左へ顔を向けた人物と華やかな衣装です。
頭の上でふくらむ黒い髪。その下では明るい顔の輪郭がくっきりと浮かび、目も画面の左側を向いています。何を見ているのだろう、と視線の先が気になりますね。人物の上には丸い月と鳥の群れ、背景には建物や花もありますが、手前の顔ほど大きくありません。
衣装の「児」「雷」「也」は、文字であり模様でもある
衣装を見ていくと、赤と黄の幾何学的な文様や、黒地に描かれた竜が目に入ります。さらに大きな「児」「雷」「也」の文字もあります。
名前を読ませる文字が、衣装の模様にもなっている。細い線で描かれた髪や竜に対し、大きな文字は離れていても目に入りやすいですね。
ガマだけが児雷也を伝える手がかりではありません。題名や衣装の文字、そして大きく見せられた人物の姿。その組み合わせに注目すると、妖術のすごさとは別の魅力が見えてきます。月を伴う人物表現に関心が湧いたら、月岡芳年《月百姿》の記事でも、月と人物がつくる場面をたどれます。
周延の《児雷也譚》では、三人と動物が近づく
もう一枚は、楊洲周延の《児雷也譚》。明治13年(1880)の作品です。江戸時代の作品と混同せず、題材が明治にも描かれた例として見てみましょう。

横長の画面には三人が大きく描かれています。右の人物は刀に手をかけ、中央の人物は上体を傾けて右を向く。左の人物にも刀が見えます。顔だけでなく手と刀をたどると、それぞれの身体の向きが違うことに気づきます。
左の人物の肩の後ろには、丸い大きな目と幅広い頭。ガマです。右下には口を開いた蛇がいます。どちらも小さな添え物ではなく、顔や口が人物のすぐ近くに迫っています。
顔を見せる一枚、関係を見せる一枚
赤い背景には青白くうねる模様が重なり、人物の衣装も鮮やかです。どこを見ても別の色や形が目に入る。その密度が、三人と動物が出会う場面をにぎやかにしています。
さきほどの一枚では、一人の顔や衣装に目を留められました。こちらでは、人物どうしの向きや、動物との距離に目が動きます。
どちらが児雷也を正しく描いたかと決める必要はありません。同じ題材から、何を見せ場にするのか。その選び方が違うのです。色を重ねる錦絵の広がりは、鈴木春信の記事も鑑賞の入口になります。
ガマ・蛇・ナメクジの「三すくみ」は、どんな仕組み?
『児雷也豪傑譚』で、児雷也はガマの妖術、綱手はナメクジの妖術を使い、大蛇丸に立ち向かいます。国立国会図書館の解説は、三人と動物の「三すくみ」の設定が『NARUTO』で採用されていることを紹介しています。

ガマは蛇に弱く、蛇はナメクジに弱く、ナメクジはガマに弱い。じゃんけんのように、それぞれに強い相手と弱い相手がいる仕組みです。
ここでの三すくみは、物語の中の力関係です。現実の生き物の生態を説明する図ではありません。
三すくみでは、強さを一列に並べられません。相手が変われば有利な立場も変わる。誰と向き合い、誰と力を合わせるのかが、物語の展開を左右します。
ただし、江戸の児雷也をそのまま『NARUTO』の自来也だと思わないことも大切です。NARUTO公式サイトの研究者インタビューでは、江戸の児雷也は義賊の妖術使いで、二枚目として描かれていたという違いが説明されています。同じ名前や動物が残っていても、人物像や物語の展開まで同じではないのですね。
『児雷也豪傑譚』は、誰が書き継いだ物語?
『児雷也豪傑譚』は1839年に刊行が始まり、1868年まで続きました。国立国会図書館の解説では43編とされています。一冊で読み切る小説ではなく、続きが出ていく長い物語だったのです。
形式は「合巻(ごうかん)」という、文章と絵を組み合わせた江戸の読み物。専修大学図書館の解説によると、四人の戯作者と七人の絵師が関わりました。歌川国貞や歌川国芳の名もあります。「作者は誰?」に一人の名前だけでは答えきれない作品なんですね。

本から舞台へ、そして別の絵へ
専修大学の紹介では、合巻の表紙や口絵には色の版を重ね、上下に続く図柄を設けることもあったと説明されています。本を手に取るところから、絵を見る楽しみがあったわけです。
さらに、東京都立中央図書館の調査事例では、読本『自来也説話』をもとに合巻『児雷也豪傑譚』が生まれ、それが歌舞伎へ脚色された関係をたどれます。その背景には、中国の盗賊・我来也の話があるとされています。これは図書館が事典を調べて示した説明で、すべてを一冊の原典で確認したという意味ではありません。
一つの長編を複数の書き手と描き手が続け、その題材を舞台や別の絵が受け取る。「元ネタはこれ」と一つ見つけたら終わりではなく、途中で何が加わったのかも見たくなります。
児雷也らしさは、名前・ガマ・姿のどこにある?
ある人物を描くとき、何を残せばその人物だと伝わるのでしょう。名前でしょうか。服装でしょうか。児雷也を描く絵では、ガマも大切な手がかりになります。
次に絵を見るときは、まず「何が児雷也らしさを担っているのだろう」と探してみてください。そこから顔や姿勢、隣にいる人物や動物へ目を移すと、作者が何を強調したのかを考えやすくなります。
自来也、綱手、大蛇丸という名前から古い絵へ。ガマを見つけ、人物の姿を追い、別の児雷也と比べてみる。その順番で眺めると、受け継がれたものと、そのたびに変わってきたものが少しずつ見えてきます。
次に浮世絵で大きなガマに出会ったら、ぜひ隣の人物にも目を向けてみてください。知っている名前の、まだ見たことのない姿に出会えるかもしれません。

