貝で飾られた琵琶、丸いカットが並ぶガラスの碗、花と鳥で埋め尽くされた鏡。正倉院の宝物は、奈良時代の工芸を細部まで見せてくれます。どこで作られ、どのように伝わり、なぜ今も残っているのでしょう。3つの宝物と、それを守る仕事から読み解きます。
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正倉院宝物の来歴/琵琶・ガラス碗・螺鈿鏡の見どころ/宝物を守り伝える保存と模造
光明皇后の献納を伝える「国家珍宝帳」
756年、光明皇后は亡き聖武天皇が愛用した品々を、東大寺の大仏に献納しました。その目録が「国家珍宝帳」です。600件余りの品を記す文書は、宝物を「美しいもの」から、持ち主や献納の事情がわかる歴史資料へと結びつけます。宮内庁の解説で、その来歴を確認できます。
正倉院宝物には東大寺の儀式で使われた品なども含まれ、現在伝わるのは約9,000件。すべてが聖武天皇の遺愛品というわけではありません。献納先となった仏の世界は、仏像の歴史と種類からもたどれます。

螺鈿紫檀五絃琵琶——楽器の起源と制作地を分けて見る
螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんのごげんびわ)は、中国・唐時代、8世紀の宝物。五絃琵琶という楽器は古代インドに起源を持ちますが、この品そのものを「インドで作られた」とするのは誤りです。
見どころは、撥が当たる部分の装飾。ラクダに乗り、琵琶を演奏する人物が貝で表されています。楽器の上に、もうひとつ楽器を描く。その入れ子のような構図に注目すると、異国の音楽を身近に感じられます。原品の制作地と図像は東京国立博物館の作品解説に基づきます。
下の写真は、原品を写した東京国立博物館所蔵の模造品です。原品と模造を区別しながら、まっすぐ伸びる頸、5本の弦、貝の装飾を見てください。

白瑠璃碗——丸いカットが器の表面を変える
白瑠璃碗(はくるりのわん)は、口径12.0cm、高さ8.5cmのガラス器です。写真で目を引くのは、表面に規則正しく並ぶ円形のくぼみ。隣り合うカットによって、亀甲のようにつながる模様が生まれています。
宮内庁の宝物解説では、色は無色でごく薄い褐色を帯び、ササン朝ペルシアで製作されたとされます。「白」という名から乳白色の器を想像すると、実物との違いに気づくでしょう。
制作地を推定できても、この碗が通った道筋や運び手まで確定するわけではありません。陸路や海路の物語を、個別の宝物の来歴として断定しないことが大切です。

平螺鈿背八角鏡——映す面の裏に、花と鳥を敷き詰める
写真は平螺鈿背八角鏡(へいらでんはいのはっかくきょう)第13号、北倉42に属する宝物です。唐時代・8世紀の作で、見ているのは顔を映す面の裏側。中心を囲む花文様と、その間に配された鳥が、鏡の背を密に飾っています。
螺鈿には夜光貝が使われています。正倉院の螺鈿技法を調べた報告(PDF)は、花の大きな部分を一枚の貝から作り、鳥は胴と長い尾を別材で組み合わせたことを記します。模様を「描く」だけでなく、貝をどこで分け、どうつなぐかにも職人の判断があるのです。
古い図版の色には印刷の影響もあります。ここでは色の鮮やかさより、花と鳥の配置、部材の組み合わせに目を向けてみましょう。

宝物が残った理由は、保存を続ける人の仕事
宝物は、奈良時代の木造の正倉に今も収められているわけではありません。現在は東西の宝庫で保管されています。1963年には空調を備えた西宝庫が完成し、従来の曝涼から、状態を調べる点検へと管理の方法も変わりました。正倉院事務所の報告(PDF)は、虫害や損傷を調べる作業を伝えています。
材料や構造を研究し、宝物を作り直す「再現模造」も続いています。原品を観察するだけでは見えにくい、制作の手順や技術を確かめる仕事です。手仕事そのものに関心が湧いたら、ウィリアム・モリスと工芸の思想もどうぞ。
「何でできているか」「どのように作られたか」「どう守られてきたか」。この3つをたどると、正倉院は昔の品をしまう場所から、人の技術と仕事を伝える場所へと見えてきます。

