前回のおさらい
感想の総評
多くの学生が、近代デザインの変化とその社会的背景について深く考察していました。「良いデザイン」の定義が時代や立場によって変化することに対しての感想もよくみかけました。また芸術性・機能性・商業性のバランスについて自分の意見を持ち始めたのかな、講義が視野を広げるきっかけとなれたら嬉しいです。
- 「良いデザイン」の定義について
- 近代デザインと産業・社会の関係
- 芸術家と実業家の視点の違い
- 大量生産と選ばれないデザインへの興味
- 自身の将来や立場と照らし合わせる
質問など
- Q追って更新します
- A
第1回から第3回まではデザイン史概要として基礎的な流れを追っていきました。今回からは、近代デザイン史に入ります。
| 第 | カテゴリ | 内容 | 課題 |
|---|---|---|---|
| 1 | 授業紹介 | なぜデザイン史を学ぶか | |
| 2 | デザイン史基礎 | デザインとはなに | |
| 3 | 良いデザインは何を生んだのか |
| 4 | 西洋近代デザイン史 | アーツ&クラフツ運動 | |
| 5 | 西洋近代デザイン史 | ドイツ工作連盟、バウハウス | |
| 6 | 米国近代デザイン史 | アメリカデザイン史概要 | 小課題A |
| 7 | 米国近代デザイン史 | シカゴ派、機能主義、フォードシステム | |
| 8 | 米国近代デザイン史 | 国際様式、MoMA、ニュー・バウハウス | |
| 9 | 日本近代デザイン史 | 日本デザイン史概要 | 小課題B |
| 10 | 日本近代デザイン史 | 戦後デザイン、大正ロマン | |
| 11 | 日本近代デザイン史 | 昭和初期のデザイン、民藝運動 |
| 12 | 現代デザイン史 | 戦後の国際デザイン運動 | 小課題C |
| 13 | 現代デザイン史 | ポストモダンデザイン | |
| 14 | 現代デザイン史 | デジタル時代のデザイン | 課題 |
| 15 | 現代デザイン史 | グローバルデザインとローカルデザイン |
第4回から第11回は「近代デザイン史」です大きく分けて3ブロック。西洋/米国/日本 です。それぞれのブロックが終わった翌週で小課題(小テスト)を行います。
急速な機械化産業により美が問い直された時代へ

今回のテーマは「産業革命と、それに対抗する形で生まれた“手仕事の思想”」です。
これは、デザイン史において非常に重要な転換点でもあります。機械化された社会において、「美しいものとは何か」「良い暮らしとは何か」を問い直した芸術家や思想家たちがいました。その中心にいたのが、ウィリアム・モリス。そして彼が主導したアーツ・アンド・クラフツ運動です。

アートの分野とデザインの分野、産業革命により劇的に変化していきました。アートは、かつての既得権益(西洋で言う所の王族貴族など)が抱えた美意識への反感。そしてデザインの分野では、機械化への反発でした。
アートとデザイン、反発の元は違いますが未来への展望はお互いに刺激し合うものがありました。今回は得に西洋近代デザインにフォーカスしていきます。
なぜアーツ・アンド・クラフツ運動が生まれたのか?
アーツ・アンド・クラフツ運動が登場した背景には、19世紀にイギリスで起きた「産業革命」の影響があります。
この時代、機械による大量生産が可能となり、製品は次々と市場に供給されていきました。一見すると便利で豊かな時代に突入したかのように見えますが、そこには大きな代償もありました。

まず、人々の生活スタイルそのものが変わっていきます。以前は家内工業や職人の手仕事によって、暮らしと仕事が地続きのように存在していました。しかし、工場での機械化が進むことで、人々は決まった時間に工場へ出勤し、定められた作業を繰り返すという生活スタイルに切り替わっていきます。
この「生活と労働の分断」は、当時の人々にとっては非常に大きな変化でした。機械のリズムに合わせて働く毎日は、効率的であると同時に、どこか機械の一部のような感覚を人々に与えました。
また、機械による生産のもうひとつの問題は「美の欠如」でした。とにかく早く、大量に、安く作ることが重視された結果、製品のデザインや質感は二の次になっていきます。それまで職人たちが培ってきた装飾の美しさや細やかな技術は、機械の前では不要なものとされてしまいました。「このままで本当に良いのか?」
そうした疑問を抱いた人々が、やがて“手仕事”の価値を見直し、あらためて「美しくつくる」ことの意義を取り戻そうと動き出します。それがアーツ・アンド・クラフツ運動へとつながっていくのです。
ジョン・ラスキンの思想 ― 機械化批判と中世賛美
アーツ・アンド・クラフツ運動を語る上で欠かせない思想家が、19世紀イギリスの美術評論家ジョン・ラスキンです。
ラスキンは、機械化が進む社会に疑問を投げかけ、「芸術とは何のためにあるのか」「人はどう働くべきか」といった本質的な問いを通じて、後のデザイン思想に大きな影響を与えました。
機械による労働の変質
産業革命によって工場勤務が一般化したこの時代、人々は画一的な作業に従事し、まるで“働きアリ”のような日々を送っていました。それまでは、家族経営の小さな工房や自宅での手仕事を通じて、「つくること」そのものに誇りや喜びを感じていた人々が、機械の歯車の一部のように扱われていくことに、ラスキンは強い危機感を覚えます。

芸術家のように働くことが、人間にとって本来の喜びである
ただ食べるために働くのではなく、手を動かし、想像力を働かせ、何かを創り出すことが、精神的な充足感に結びつくと考えていたのです。
大量生産と美の喪失
ラスキンはまた、大量生産によって“醜い製品”があふれていく現状にも強く異を唱えました。
安価に、素早く、数を揃えることばかりが優先される時代に、美的な価値や職人技術は軽視され、消えていこうとしていました。彼にとってそれは、人々の生活から“美のある暮らし”が奪われていくことでもありました。
中世への憧れと再評価
では、どうすれば良いのか?
ラスキンが見つめたのは「過去」でした。特に彼が理想としたのは、中世のゴシック建築や工芸です。そこには、職人が手で彫り、描き、積み上げた“人間の温かみ”が確かに存在していたからです。
彼にとって中世の職人たちは、機械に支配されず、自らの信仰や喜びを作品に込めることができた“理想の労働者”でした。
芸術と道徳のつながり
さらにラスキンは、芸術教育が単なる技能習得にとどまらず、「道徳的・精神的な成長」につながるものだと考えていました。彼のこの思想は、後にウィリアム・モリスへと引き継がれ、アーツ・アンド・クラフツ運動の理念として花開くことになります。
ウィリアム・モリスの実践 ― 手仕事による生活の芸術化
アーツ・アンド・クラフツ運動の中心的な実践者として知られるのが、ウィリアム・モリスです。彼は、ジョン・ラスキンの思想に深く共感しながら、それを単なる理論ではなく、現実の「ものづくり」と「暮らしのデザイン」に落とし込んでいった人物でした。

- ウィリアム・モリス William Morris
- 1834年3月24日-1896年10月3日
- 出身地:イギリス・ロンドン近郊(ウォルサムストウ)
- 詩人、デザイナー、思想家、社会運動家
- アーツ・アンド・クラフツ運動
- 主な関係人物: ジョン・ラスキン(思想的影響を受けた批評家) エドワード・バーン=ジョーンズ(盟友・画家) ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(ラファエル前派の画家・詩人) メイ・モリス(娘・刺繍作家として活動)
モリス商会の設立 ― 手仕事による美の再生
モリスの思想は、言葉や理論だけにとどまりませんでした。彼は1861年、仲間の芸術家たちとともに「モリス・マーシャル・フォークナー商会(通称:モリス商会)」を立ち上げます。ここで彼が目指したのは、「暮らしそのものを芸術にする」という理念の具現化でした。
たとえばステンドグラス、壁紙、家具、書籍など、生活空間を彩るさまざまな装飾品を、手仕事で丁寧に制作していきました。その多くが、中世の工芸や自然のモチーフにヒントを得たもので、機械では到底再現できない繊細なデザインと職人技に支えられていました。
美術と生活の融合

彼の代表作のひとつである壁紙《いちご泥棒》には、細密な植物模様と野鳥の姿が織り込まれており、自然と人間の営みが共存する理想的な空間を思わせます。
また、手作りの家具や書籍の装丁にもこだわり、ゴシック様式の装飾や中世の彩飾写本を参考にしながら、「見る・触れる・使う」すべての面で美を感じられるものを追求しました。
手仕事を通じた理想の社会像
モリスが目指したのは、芸術家だけの特権的な美ではなく、「すべての人が美しい環境で暮らす権利を持っている」というビジョンでした。その実現のために、生活に根ざしたデザインや、職人の手仕事の復権を通して、社会そのものを美しくしようとしたのです。とはいえ、モリス商会の製品は高価で、庶民に広く普及するには至りませんでした。


アーツ・アンド・クラフツ運動の意義と影響
ウィリアム・モリスを中心に展開されたアーツ・アンド・クラフツ運動は、単なる芸術運動にとどまらず、産業化社会に対する根源的な問いかけでした。「美とは何か?」「人間らしい労働とは何か?」「生活の中に芸術を取り戻せるのか?」という、今なお私たちに響くテーマが、この運動の核にあります。
デザイン教育への影響
この運動が後世に与えた影響の中でも特筆すべきは、デザイン教育の萌芽です。
それまで「デザイン」を体系的に学ぶ機関はほとんど存在しませんでしたが、アーツ・アンド・クラフツ運動は、芸術と生活の関係を問い直す中で、教育や職業訓練の重要性にも目を向けました。
この流れが、のちのドイツ工作連盟やバウハウスといったデザイン教育機関の設立に繋がっていきます。
モリスの限界と、その後の広がり
ただし、理想は高くとも、モリス商会の製品は手間と時間をかけて作られるため高価で、広く一般に普及することはできませんでした。しかし、「機械による無味乾燥な製品ではなく、美しい日用品を作ろう」という発想は、フランスやドイツなど他国へと波及していきます。
その中でも特に注目すべきは、フランスのアール・ヌーヴォー、ドイツのユーゲント・シュティール、オーストリアのウィーン分離派といった芸術運動です。どの運動も、モリスの掲げた理念を土台としながら、それぞれの文化に応じた美のかたちを模索していきました。
ヨーロッパに広がる美の運動 ― アール・ヌーヴォー
アーツ・アンド・クラフツ運動がイギリスで展開された後、その精神は海を越えて、ヨーロッパ各地の芸術家やデザイナーたちに影響を与えていきました。そのなかでも特に華やかに花開いたのが、フランスを中心に展開した「アール・ヌーヴォー」という芸術運動です。
アール・ヌーヴォーとは何か?
アール・ヌーヴォー(Art Nouveau)は、19世紀末から20世紀初頭にかけて流行した装飾芸術の潮流で、文字通り「新しい芸術」を意味します。
この運動は、美術、建築、グラフィックデザイン、家具、ガラス工芸、ジュエリーなど、あらゆるジャンルにまたがり、「日常生活のすべてを芸術にする」という理念を掲げていました。この考え方はまさに、アーツ・アンド・クラフツ運動の理念と共鳴するものです。
特徴:曲線と自然、植物のモチーフ
アール・ヌーヴォーの最大の特徴は、有機的な曲線美と自然へのオマージュにあります。
ツタのように絡み合う植物、しなやかに流れる髪、花びらのような衣装…。こうしたモチーフは、幾何学的で直線的なデザインとは対極にあり、まるで生命が脈打つような動きを感じさせます。
この運動は、都市の喧騒の中に自然のリズムを取り戻そうとする試みでもありました。
代表的な作家:アルフォンス・ミュシャ
アール・ヌーヴォーの代表的作家として世界的に有名なのが、チェコ出身の画家アルフォンス・ミュシャです。彼の描くポスターは、女性の柔らかな曲線や植物の装飾を大胆に取り入れ、当時のパリで爆発的な人気を誇りました。
たとえば、女優サラ・ベルナールのために描かれた舞台ポスターは、街に貼られた翌日には“ファンが盗んで持ち帰ってしまう”ほどの人気だったといわれています。
アーツ・アンド・クラフツとの違いと共通点
アール・ヌーヴォーとアーツ・アンド・クラフツ運動は、「芸術を生活の中に取り戻す」という目的は共通していますが、表現方法には大きな違いがあります。
| 観点 | アーツ・アンド・クラフツ | アール・ヌーヴォー |
|---|---|---|
| 主な国 | イギリス | フランス中心(欧州各地) |
| スタイル | 中世的、質実剛健な手工芸美 | 華やか、曲線的、装飾的 |
| 重視 | 手作業の復権と倫理性 | 視覚的な美と感性の刺激 |
| 分野 | 家具、書籍、テキスタイルなど | 建築、ポスター、ガラス、ジュエリーなど |
アーツ・アンド・クラフツは職人精神を重んじ、どこか「真面目な運動」であったのに対し、アール・ヌーヴォーは視覚的なインパクトと装飾の楽しさに満ちた、「芸術の自由さ」を象徴する運動だったとも言えるでしょう。
機械と装飾のあいだで
皮肉なことに、アール・ヌーヴォーの美しい装飾は、機械印刷や大量生産技術によってこそ広まったという側面もあります。
つまり、アーツ・アンド・クラフツ運動が批判した「機械」と、アール・ヌーヴォーの「普及」は、表裏一体の関係にあったのです。このジレンマは、のちのモダンデザインやバウハウスへと受け継がれていきました。
バウハウスなどはまた次回の授業で行います。