前回のおさらい
感想
産業革命期のデザイン思想への興味や共感が多く見られました。特にウィリアム・モリスの思想や手作業の価値に共鳴する意見が多く、当時の課題が現代にも通じるという気づきが印象的でした。また、機械化・大量生産の効率と、手作業の美学とのバランスについて深く考えさせられた学生が多いようです。
・アーツ&クラフツ運動からの現代的示唆(AIや大量生産)
・手作業の美しさ・価値の再認識
・作り手の意図と受け手のギャップ
・産業革命期と現代社会との類似性
・デザインと社会や時代背景との関係
質問
- Qモリス商会であったステンドグラスが他にどんなものがあるのか知りたいです
- A
参照
- Qアール・ヌーボーで初めて買った紹介の時にオーストリアでのウィーン分離派の作品では他に何がありますか
- A
ウィーン分離派はまた記事としてまとめます
- Qらち先生がおしゃっていたご家系でのことでお兄様はお医者様でお弟様が薬剤師となると、らち先生のお家柄は厳しかったのですか?か
- A
その時代の人なので両親は学歴好きでした
- Q普段使ってる日焼け止め教えてください
- A
ニベアとスキンアクア
- Qミュシャの作品でおすすめのものがあったら教えて欲しいです
- A
- 直近で面白かったのは《椿姫》
https://lachiart.com/2025/05/26/dora/ - アートオタクとしては《スラブ叙事詩》
- 直近で面白かったのは《椿姫》
- Qミュシャの二枚目の絵画って黄金比使われていますか?見ていて気になりました
- A
ほんとですね!
- Qミレイがラスキンのお嫁さんを取っちゃったりして意外とドロドロな関係ですが、親交、ラファエル前派の活動は破綻しなかったんですか?
- A
確かにジョン・ラスキンと奥さん(エフィー)は結婚を無効とする裁判をした後、ミレイと再婚。ラスキンとミレイは絶縁してます。
でも確か授業で言ったのはモリス妻(ジェーン)とロセッティの熱愛かな?
いずれにせよ、ラファエル前派は徐々に独自の活動へ移行していきました。
- Qデザイナーになっても絵を描くことは多いですか?
- A
手書きをスキャンしてデジタルで構成することは仕事によってはやっています。
- Q機械が発達している今でも、手作業で作る作品の価値は残っていくと思いますか?
- A
ある程度価値は残ると思います。贅沢品として?
- Qもう少しスライドゆっくりだとメモしやすいです
- A
すいません!
- Qアーツ&クラフツ運動をした若者はなぜ昔ながらの中世美術に戻ろうとしたのでしょうか?若者は新しいトレンドのものを求めるイメージがあるのですが。
- A
印象派や19世紀の芸術家にも当てはまりますが、この時代、革命的なことが起こせる人物はある程度裕福な家柄の人が多いです。
- Qものを作る上で消費者の意見にも耳を傾ける事も大切だと思うのですが、そういった人達の意見が聞けるような場をこの先増やすにはどうしていけばいいのでしょうか。ネット上で人々のコメントなどはもちろんのことですが、違った場合もあるのでしょうか。
- A
ターゲットがわかれば調べ方もわかります。まず実務では、ターゲットをクライアントが指定しますターゲットが、どの状況で(もの)をつかうのか。そこがクリアになれば自ずと調べ方も見えてきます。
今回はデザイン史の重要な転換期である19世紀末から20世紀前半にかけての「モダンデザイン」の成立について、ドイツを中心に紹介します。
アーツ・アンド・クラフツ運動の課題とその克服

前回の授業で紹介したアーツ・アンド・クラフツ運動は、芸術と工芸を融合させる理想を掲げましたが、手作業中心であるため製品が高価になり、社会的な普及に限界がありました。この課題を克服するために登場したのが、ドイツ工作連盟です。
ドイツ工作連盟とヘルマン・ムテジウス

ドイツ工作連盟(Deutscher Werkbund)は、1907年に建築家ヘルマン・ムテジウスが中心となり結成されました。ムテジウスはイギリス勤務時代にアーツ・アンド・クラフツ運動に触れ、その理念をドイツに持ち帰りましたが、伝統工芸の模倣から脱却し、新たな工業デザインのあり方を提唱しました。彼の主張は芸術的、経済的、社会的な意義を持つ量産可能なデザインを目指すものであり、当時の保守的な伝統主義者から激しい反発も受けました。

標準化と規格化:美しさと機械生産の融合
ドイツ工作連盟は機械生産で美しい製品を作る方法として「標準化」と「規格化」を推進しました。一方、画一化されたデザインは芸術性とのバランスが課題となり、激しい議論が行われました。ベルギーの建築家アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデは、自由な芸術表現を守る立場から、この標準化に反対しました。
- Q標準化(Standardisierung)とは?
- A
製品のデザインや製造方法に一定のルールや規格を設けることで、品質を安定させ、生産効率を高めることを指します。特にドイツ工作連盟が推進した標準化は、「美しく機能的な製品を大量生産で安価に作り出す」という目的を持っていました。

AEG電気ケトル(1909) こうした標準化は、今日の私たちが普段目にするモダンデザインの原点となり、製品デザインから建築にいたるまで、広く浸透しているのです。

バウハウスの設立と思想

ドイツ工作連盟の流れを汲み、1919年、ワルター・グロピウスによって設立されたのが「バウハウス」です。バウハウスは芸術と産業の融合を教育の中心に置き、「芸術は民衆の幸福と生活そのもの」であるべきだと宣言しました。
グロピウスはアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデの後継者として機能性と美しさを兼ね備えた建築を目指し、デザインの基礎教育から実践的な製品デザインまで一貫して教育するカリキュラムを構築しました。教育内容は、建築を最終目的として、絵画や彫刻、工芸、工業デザインを統合した総合的な芸術教育でした。


バウハウスの特徴的な教育者とその成果

バウハウスでは個性的な教育者たちが集い、革新的な教育が行われました。例えば、ヨハネス・イッテンは色彩理論を体系化し、内面的な感覚を重視する独特な教育方法で知られています。また、ヨースト・シュミットはグラフィックデザインやタイポグラフィーの革新を進めました。

さらにバウハウスからは、機能美を追求したプロダクトが多く生まれました。例えば、最後の校長ミース・ファン・デル・ローエがデザインした「バルセロナチェア」は、「少ないことはより豊かである(Less is More)」という哲学を体現した名作として知られています。

デ・ステイルとアール・デコの影響

同時期にオランダで生まれた芸術運動「デ・ステイル(De Stijl)」も、バウハウスに影響を与えました。ピエト・モンドリアンの抽象的で幾何学的な絵画はプロダクトデザインにも展開されました。一方、アール・デコは曲線美を特徴としたアール・ヌーヴォーの次に登場し、幾何学的でシンプルなデザインを特徴としました。このデザインはパリからアメリカへ伝播し、特に建築やグラフィックデザインに大きな影響を与えました。

第二次世界大戦とデザインの変容

しかし、ナチス政権の台頭と第二次世界大戦の勃発により、モダンデザインの動きは一時的に中断を余儀なくされます。バウハウスの教師やデザイナーたちはドイツを離れ、主にアメリカに亡命しました。この動きが後のアメリカにおけるモダニズムデザインの発展を促したのです。
もし戦争がなければ、バウハウスはさらに革新的なデザイン教育を展開し、現在のデザイン教育も異なった形をとっていたかもしれません。デザイン史を学ぶことで、歴史的背景が現代のデザインにも深く影響を与えていることを理解できるでしょう。
