デザインって、何を指す言葉なのでしょうか。かっこいいポスターやおしゃれなパッケージ、使いやすいアプリの画面や街中の看板の形まで、日常にはたくさんの“デザインされたもの”があふれています。でも、こうして例を挙げていくと、かえって「結局デザインって何なの?」と疑問が深まるかもしれません。
第二回の授業では、産業の発展がデザインの意味や価値観をどう変えてきたのかを歴史的に振り返りながら、現代の「デザイナーの立ち位置」について考えていきます。
「なぜ今のデザインはこんなにも“売るため”に最適化されているのか?」
「美しさと機能のバランスは、いつどこで分かれたのか?」
そんな問いのヒントを、ここで一緒に探してみましょう。。
前回のおさらい
感想の総括
前回は「なぜデザイン史を学ぶのか?」という問いに、皆さんがとても丁寧なコメントをたくさん寄せてくれました。
- 将来への仕事や実務への基礎知識として
- 歴史の知識が発想力につながる認識
- 形にルーツがあることへの驚きと関心
- 具体的な車や家具に対しての感想
- そのほか授業への期待、楽しみと感想
質問への回答
- Qルネサンスはもっと芸術のほうですか?それとも、デザインにも何か繋がりがありますか?
- A
一般的にルネサンスは美術の文脈で語られますが、実はデザインとも深い関係があります。例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチが行っていた構図や黄金比、遠近法の探求は、現代のグラフィックデザインや写真構図に通じる考え方です。
また、宗教画で使われたアイコン(イコン)は、シンボルやマークとしての役割を果たしており、ブランドロゴと似た機能を担っていました。スターバックスのロゴのように、それを見るだけでイメージが喚起されるものです。
- Qノートなどは必要でしょうか?また、必要でしたら、サイズはどれぐらいで、ルーズリーフで大丈夫でしょうか?
- A
この授業では、ノートの提出はありません。自分が取りやすい形式で記録をとってください。
- Qデザイナーの中で、時代の流れ(流行りをよく取り入れている?)を最も感じることができる人は誰ですか?
- A
今は圧倒的に万博日本人デザイナーが160カ国を巻き込む国家事業に関わり、それを目の当たりにできるいい機会です。
- Q今開催されている中で行った方が良いおすすめの展示会はありますか?
- A
デザインあ展、戦後西ドイツのグラフィックデザイン モダニズム再発見
- Q最後に紹介していた本はなんと言う本ですか?教えて頂けると嬉しいです
- A
- QYoutubeを始めたきっかけを教えてほしいです。
- A
podcastやaudiobookでの発信を2年程していたら、視聴者さんに絵が見たいと言われたから
- Qデザイン史においてトレンドの波はどうやって引き起こされていることが多いのでしょうか?
デザイナー自身の支持率によっても(トレンドは)変化するものなのでしょうか? - A
文化が変化する場合が多いのは主に2つあるとかんがえています。1つは経済が豊かになったとき。1つは支配者が変わったとき
- Q素材(ガラスとか木とか)についても説明して頂けますか?
- A
- Q好きな食べ物、好きな歌、好きな音楽はありますか?
- A
デザインの定義は1つではない

デザインという言葉の輪郭をはっきりさせるために、まずは「似ているけれど違うもの」を挙げてみるのもひとつの方法です。たとえば、アート、クラフト、エンジニアリング、企画、マーケティング、ファッション、建築……いずれもデザインと密接に関係しているけれど、どこか違う。あなたが普段大切にしている「デザイン」も、きっとこのどれかと強くつながっているはずです。
大切なのは、「デザインとは何か」を考えるとき、どの対象と比べるかによって答えが変わってくるということ。アートとの比較がよくなされますが、それも立場によって見方が偏ることがあります。たとえば、デザイナーとしての職業意識を前提に語れば、アートは“個人の表現”で、デザインは“誰かのための問題解決”だと言いたくなるかもしれません。でもその線引きは、時に曖昧で、時に恣意的でもあります。
無印良品のアートディレクターとして知られる深澤直人さんは、デザインを「ふと生まれる気の利いた冗談のようなもの」と語っています。(言い忘れてました)ちょっとした工夫が、生活の中で思わず微笑んでしまうような体験を生み出す。それは決して大げさな機能でも、派手な装飾でもありません。むしろ、デザインの定義を拡大した方が人の共感を得られる場合もあれば、反対に、意味をぐっと狭めて語った方が本質が浮かび上がることもあります。
デザインは様々な影響下にある

デザインは固定された概念ではなく、時代や場所、そしてそれを語る人の立場によって、その意味や役割が変わってきました。たとえば宗教的な制約のある社会では、装飾やモチーフの使い方にルールがあり、それがデザインのあり方に影響を与えます。あるいは経済の豊かさや技術の進化によって、そもそも“何が可能か”という前提が変わってしまうこともあります。
流行の色や形、素材やスタイルの変化はもちろん、価値観そのものも時代とともに移ろいます。大量生産が重要だった時代、サステナブルが重視される今、そしてAIや自動生成が進む未来。それぞれの時代で「良いデザイン」とされるものは、同じではありません。
つまり、デザインとは単なる「見た目の工夫」や「使いやすさの追求」ではなく、社会や文化の中で変化し続ける“関係性”のようなものだといえるかもしれません。だからこそ、今自分がどんな社会にいて、どんな視点からそれを見ているのかを意識することは、「デザインとは何か?」を考えるうえでとても重要なのです。
経済とデザインの歴史

「デザイン」という言葉は、時代とともに何度も意味を変えてきました。研究者のジョン・ヘスケットは、その定義の曖昧さについて「デザインとは愛のようなものだ」と語っています。愛と同じく、デザインも一つの意味に定まらず、文脈や関係性によってその解釈が変わる。つまり、単純には定義できないということです。(授業内で紹介するの忘れた)時代ごとに、デザインを定義してきた事項について見ていきましょう
古代ローマ/印をつける・トレース・計画する・悪事を働く
まだデザインという名称もない、デザインの源流のような時代の解釈です。古代都市の遺跡をよく見ると、店先の柱に看板のような役割をしている小さな彫刻が発見出来ます。この場所がなんのお店だったかをアイコンとして表示させるような装いを考えると「印をつける」という現代解釈には納得できます。
1548年/動詞、示す・指示する
初めて辞書に登場します。16世紀、ルネサンスも後半に差し掛かった頃のデザインの定義です。当時の芸術家はクライアントワークが中心のため、相手の希望に答えるための作品作りがもとめられてきました。そこで自分たちの仕事内容の解像度がよりあがっていきます。
1588年/名刺、目的・意図
1953年/なにかをやろうとして頭のなかに構想した計画や方法、行動により実行されるアイデアの予備的な概念
アカデミーの開設などが後押しし、より鮮明に定義されるようになりました。
モダンデザイン/商業とのリンク
かつての王族貴族がクライアントだった時代から一変して、産業革命以降のクライアントは企業になります。そこで企業が求めるデザイン設計、つまり売上に直結し資本主義と共同でいきていく術を求めてきました。
産業との対比で現れるデザインの弱点

こうして現代におけるデザインの定義が多様化する一方で、産業や社会との関係の中で、デザインが誤解される場面も少なくありません。特に産業とデザインの関係性を考えると、そこにはいくつかの「ボトルネック」が見えてきます。
そのひとつが、「表装=スタイル」のように扱われてしまうことです。デザインが「見た目を整えるだけの仕事」として矮小化され、本来の企画性や構想力が無視されてしまう。実際、広告やメディアの文脈で「デザイン」という言葉が使われる場合、その多くはビジュアルや印象の話にとどまっています。
また、デザインが単なる「商業的ツール」として機能させられてしまうこともあります。つまり「売れるための飾り」や「付加価値をつける手段」としてのみ評価され、そこに込められた思想や社会性が見過ごされる。さらに言えば、常に“新しさ”や“目新しさ”を求められるために、持続性や倫理性よりも即効性が重視されがちです。
もちろん、そうした役割が必要とされる場面もあります。しかし、デザインを“表面の美しさ”や“商業的装飾”に限定してしまうと、本来持っていたはずの広がりや深みが削ぎ落とされてしまうのです。私たちは今、デザインの本質を再確認することが求められている時代にいるのかもしれません。
弱点の克服
しかし、こうした「表装」や「商業的ツール」としての偏った見方をどう乗り越えるか。それもまた、現代のデザイナーにとって大きなテーマのひとつです。奇抜さや目新しさが重視される一方で、それが本当に「良いデザイン」なのかという葛藤は常につきまといます。
そのヒントのひとつが、グラフィックデザイナー・佐藤卓さんの手がけた《明治おいしい牛乳》のパッケージデザインにあります。このデザインは一見してとてもシンプルで、奇をてらったところはありません。それでも長年にわたって愛され、生活の中に自然と溶け込んでいます。クライアントの要望の間で、眼の前のトレンドに振り回されないロングランの商品開発を追求した痕跡の例といえるのではないでしょうか。

ここで佐藤さんが大切にしているのは、「中身を外側に表現する」という考え方です。つまり、デザインとは中身の良さや価値を、わかりやすく、正直に、かたちとして伝える手段であるべきだということ。見た目の派手さよりも、その誠実な姿勢が結果として「信頼されるデザイン」につながっています。
円グラフは、通常使われているパッケージの配色割合をしめしています。赤はロゴマークなどに使われるので省くと、青や緑といった色を多様しているのがわかります。円グラフのグレーは無彩色を示しており、つまり通常牛乳のパッケージとは、無彩色と青系を使っているわけです。この陳列で目立つためには、反対の暖色系がある種正解なのかもしれません。しかしそれは「中身を外側に表現する」とはズレてしまいます・
この考え方は、すべてのデザイナーにとっての正解ではないかもしれません。それでも、デザインが単なる表層ではなく、意味や価値を“伝える手段”であるという原点を思い出させてくれる好例といえるでしょう。
商品を売るために目立たせたいという生産者側の思惑と、生活に溶け込んでほしいという消費者側の願い。その両方を見据えてデザインを構想すること。それが、ボトルネックを超えた先にあるデザインの力ではないでしょうか。
アートとデザインは元をたどると同じだった?

デザインを理解するうえで、もうひとつ避けて通れないのが「アートとの対比」です。この関係もまた、時代によって大きく変化してきました。
古代においては、アートとデザインの区別は今ほど明確ではありませんでした。「テクネー(technē)」という言葉に象徴されるように、工芸や建築、音楽、薬学など、広く“つくること”全般が一つの技術として扱われていたのです。ただし、当時の哲学者プラトンにとってテクネーは、イデア(本質的な真理)を模倣するに過ぎない“下位のもの”と見なされていたという背景もあります。
それが大きく変わるのがルネサンス以降、いわゆる「古典期」です。芸術家は宗教や政治権力からの支援を受けながら地位を高め、アートは社会の中で“意味を担うもの”としての役割を持ちはじめます。ただしその裏には、常にパトロンの意図に応えるという制約も存在していました。
さらに時代が進み、モダンアートの時代になると、アートは次第に宗教や政治と距離を取り、自律した表現としての価値を確立します。一方で、産業の発展とともに「つくることの実務的側面」は企業へと引き継がれ、デザインという領域が独立していきます。つまり、アートは“権力との分離”を選び、デザインは“企業との結びつき”を選んだとも言えます。
そして現代。アートもデザインも、再びその定義を問い直すようになっています。社会課題に向き合うアートや、企業以上に社会全体に視点を向けたデザインなど、両者の境界はかつてないほど曖昧になっています。互いに影響を与えあいながら、新しい表現、新しい機能、新しい問いかけを生み出そうと模索している段階です。
このように、アートとデザインは、決して「対立するもの」ではなく、時に交差し、補完しあいながら社会の中で役割を変えてきた存在だといえるでしょう。
アートとの対比で現れるデザインの弱点

このようにアートとデザインは時代ごとに分岐しながら独自の道を歩んできましたが、現代でも両者の間には根強い価値観の差が存在します。たとえば「Art = good」「Design = not good」といった図式は、決して珍しいものではありません。アートは自由で創造的、知的で崇高なものとされる一方で、デザインは商業に振り回される実務的なもの、あるいは“表面を整えるだけ”という印象を持たれがちです。
その背景には、デザインが現実の制約の中で機能する営みであるという性質があります。ターゲットのニーズ、予算、納期、法規制、素材や技術の制限、さらには企業の都合……その中でデザインは、ただ「自由に表現する」だけでは成り立ちません。とくに大規模な商品開発やプロジェクトでは、ひとりのデザイナーが全体を完結させることはほとんどなく、工場ラインとの連携や技術部門との調整といった“共同作業”が不可欠です。
しかし、その「共同性」こそがしばしば見落とされます。デザインがアートのように「個の才能で完成するもの」だと誤解されると、現場で必要とされる連携や対話の力が軽視されてしまうのです。また、企画の初期段階にデザイナーが関わることなく、“最後に見た目を整える役”として位置づけられる場合も少なくありません。
こうした誤解を払拭するには、「デザインとは何か」という問いを単に機能や見た目の話にとどめず、社会の中でどう機能し、誰と共に作られているのかにまで視野を広げる必要があります。
コンピューターにデザインを取り込んだ女性 ムリエル・クーパー

1970年代、まだコンピューターといえば研究者や技術者のための“スーパーマシン”だった時代に、そこへデザインの視点を最初に持ち込んだ女性がいました。彼女の名はムリエル・クーパー(Muriel Cooper)。
ブックデザイナーとしてキャリアをスタートさせた彼女は、やがてMITプレスのアートディレクターに就任し、出版物のタイポグラフィやレイアウトに革新をもたらしました。MITプレスの象徴的なストライプロゴ(1970年代)を手がけたのも彼女です。

当時、パーソナルコンピューター(PC)はまだ一般に普及しておらず、デジタルで画像を扱うには高性能なスーパーコンピューターが必要でした。マウスの原型がデモンストレーションされたのが1968年。その後もコンピューターの世界は「数字と文字の世界」が中心で、そこに“ビジュアル”は存在していませんでした。

しかしクーパーはその枠を超えました。彼女は「コンピューターにグラフィカルな思考を取り入れる」という、当時としては画期的な挑戦を始めます。MITメディアラボの創設メンバーでもあり、コンピューター画面上でのインターフェースデザインやタイポグラフィのあり方を教育・研究の場から進化させていったのです。もし彼女がいなければ、私たちが今日当たり前に使っているようなグラフィカルなPC画面やインターフェースの誕生は、もっとずっと遅れていたかもしれません。ムリエル・クーパーは、単に「女性デザイナー」という枠を超え、テクノロジーに“視覚と思考の豊かさ”をもたらしたパイオニアなのです。
歴史視点でのデザイン定義

ここで改めて、「デザインとは何か?」という問いを歴史の視点から見直してみましょう。
デザインという言葉や概念は、ある時代に一度“定義”されはするものの、その後すぐに多方面に展開し、淘汰と再定義を繰り返してきました。技術革新や社会の変化、他領域との関係性などが入り混じることで、現代のデザインは非常に複雑で、一言で語るのが難しい状態になっています。
だからこそ、今回の授業では「あなたにとってのデザインとは何か?」を自分自身の視点でつかみ直してみることを大切にしています。たとえそれが、まだ未成熟な定義でもかまいません。たとえば、「それって本当にデザイン?」と問われるような最前線の取り組みであっても、あなたが“デザインだ”と信じて考えるなら、それは立派な出発点です。
ただ、その中で一つヒントにしてほしいのは、「現代のデザインが、どこから影響を受け、何を受け継いできたのか」という視点です。いま私たちが扱う「現代デザイン」は、決してゼロから生まれたものではありません。ルネサンスの構築美、産業革命時代の量産性、モダンデザインの機能性、そしてインターフェースやサービス、社会との関わりを重視する現代の価値観。こうした「古典からの流れ」を意識することで、デザインの今をより深く理解することができます。
デザインの源流1:始皇帝・嬴政が行った「武器の標準化」
現代のデザインはしばしば、モノの“見た目”や“機能”の工夫だと思われがちですが、その源流にはもっと根本的な、「考え方のデザイン」「仕組みのデザイン」がありました。その一例が、紀元前3世紀の中国に登場した人物、嬴政(えいせい)──後の始皇帝です。
始皇帝は、戦国時代の混乱を経て中華を統一した王として知られていますが、実はその偉業を支えたのは、戦略的でシステマティックな「設計」でもありました。中でも注目すべきは、武器の標準化です。当時、武器は職人の手仕事によって一つひとつ作られており、サイズや形がまちまちでした。弓のサイズが違えば矢も合わない。誰かが死ねば、その人が使っていた武器は無用の長物になってしまう。これでは戦場での効率が著しく悪く、全体の戦力にも大きく影響を与えていました。
さらに兵士の多くは、いわゆる“戦のプロ”ではなく、農民などから徴兵された素人たちです。そんな彼らが迷いなく武器を使い、連携して動くには、“誰が使っても同じように扱える道具”が必要だったのです。
始皇帝はこの問題に対し、弓矢や剣、装備などの仕様を統一し、部品を互換性のあるものに整えるという、現代で言う“モジュール設計”を取り入れました。これにより、兵士は誰の矢でも使えるようになり、装備の生産と補充のスピードも飛躍的に向上。現場での混乱も減り、軍全体の組織力と即応性が格段に上がりました。

こうした「使いやすくする」「全体で機能させる」「持続可能な仕組みをつくる」という発想は、まさに今日のデザインにも通じるものです。つまりデザインは、遠い昔から存在していた“戦略の中に隠れた知恵”とも言えるのです。
デザインの源流2:識字率と関連した指南書のデザイン
日本軍は、江戸時代からの高い識字率(当時70〜80%)を背景に、兵士向けのマニュアルを主に活字で構成し、携帯性を重視した豆本サイズで提供していました。例えば、1944年の『手榴弾・小銃てき弾マニュアル』では、図解が少なく、文字情報が中心となっています。このような設計は、文字による情報伝達が効果的であるという前提に立っています。

一方、米軍は当時の識字率が20〜30%と低かったことから、視覚的な理解を促進するために、ところどころに挿絵や図解を用いたマニュアルを多数作成しました。1944年の『FM 23-30 Hand and Rifle Grenades, Rocket, AT, HE, 2.36 Inch』では、手榴弾やバズーカの使用方法を詳細なイラストで説明しています。これにより、兵士たちは視覚的に操作手順を学ぶことができ、武器の正確な使用やメンテナンスが可能となりました。

このように、日本軍と米軍のマニュアル設計には、兵士の識字率や教育背景を考慮したデザインの違いが反映されています。日本軍は文字情報に依存することで情報量をコンパクトにまとめましたが、直感的な補助が少ないため、誤解や操作ミスのリスクがあったといいます。
デザインの源流3:デコラティブアート
17世紀のフランスでは、ルイ14世が王権の絶対性を示すために、装飾芸術を国家戦略として活用しました。特に、ゴブラン家の王立工場では、豪華なタペストリーや家具が製作され、宮廷や貴族の空間を華やかに彩りました。これらの作品は、単なる美的装飾にとどまらず、国家の威信や権力を視覚的に表現する手段として機能しました。
しかし、このような過度な装飾と浪費は、財政難を招き、後のフランス革命の一因ともなりました。装飾芸術が持つ「見えないものを可視化する力」は、時に社会的な緊張を生むこともあるのです。

一方、日本では、明治時代に西洋美術が導入される中で、伝統的な装飾芸術が再評価される機会がありました。しかし、西洋の美術界では、装飾芸術が「下位の芸術」と見なされる傾向があり、日本の伝統工芸や装飾美術もその枠組みで評価されることがありました。このような評価は、日本の美術家や工芸家にとって、自己の表現を再定義する契機となりました。
明治政府は、西洋美術教育を推進する一方で、日本の伝統美術の保存と振興にも力を入れました。このような政策の中で、装飾芸術は単なる装飾にとどまらず、文化的アイデンティティの表現として重要な役割を果たすようになりました。
装飾芸術は、単なる美的要素ではなく、社会的・政治的なメッセージを伝える手段として機能してきました。西洋における王権の象徴としての装飾、日本における文化的アイデンティティの表現としての装飾。これらの事例は、デザインが持つ多面的な力を示しています。現代においても、デザインは単なる機能性や美しさを超えて、社会的な意味や価値を伝える重要な手段です。装飾芸術の歴史を振り返ることで、私たちはデザインの本質とその可能性について、より深く理解することができるでしょう。
おわりに
デザインは常に時代や文脈とともに変化し、再定義され続けています。そのため、固定された定義にとらわれず、自らの視点で「デザインとは何か?」を問い続ける姿勢が重要です。次回の授業では、皆さん自身が見つけたデザインの事例を共有し、さらに深い議論を重ねていきましょう。