ドイツ工作連盟と近代デザインの夜明け―ムテジウスからバウハウスへ

芸術様式/芸術運動
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現代の私たちが日常的に目にする「モダンデザイン」。その美しさや機能性のルーツを、20世紀初頭のドイツに感じます。当時、産業革命を経て大量生産が加速する中、人々は安価だけど質の低い製品や装飾過多なデザインに飽き飽きしていました。

そんな時代に登場したのが、建築家ヘルマン・ムテジウスを中心に結成されたドイツ工作連盟(Deutscher Werkbund)です。この連盟は「芸術と産業の融合」を旗印に掲げ、デザインの標準化や量産品の品質向上を目指しました。1914年にはケルンで記念碑的な展覧会を開催し、後のバウハウスなど、現代デザイン運動に大きな影響を与えることになります。

でも、「デザインの標準化」って、実際どういうことなのでしょう?なぜ、100年以上前の運動が現代の私たちにも影響を及ぼしているのでしょうか?今回はドイツ工作連盟の誕生からバウハウス誕生に至るまでの流れを追いながら、モダンデザインの原点に迫ります。

ドイツ工作連盟とは?現在のデザインの基礎をつくった取り組み

ドイツ工作連盟(Deutscher Werkbund)は、1907年にドイツのミュンヘンで結成された団体です。設立の目的は、「芸術と産業を融合させ、デザインの質を向上させること」。建築家、芸術家、企業経営者、職人たちが手を取り合い、日常生活に関わるあらゆる製品の美的価値と品質の両方を高めようとしました。

工作連盟が生まれた当時は、産業革命の影響で大量生産が広がり、低品質で安価な製品が市場を席巻していました。その一方、芸術の世界はまだ「職人的な手仕事」にこだわり、機械生産を拒否する傾向が強かったのです。

そこで工作連盟は、「機械生産でも美しい製品は作れる」という革新的な主張を掲げました。芸術性と機能性を兼ね備えたデザインを標準化し、ドイツ製品の世界的な競争力を高めることを目指したのです。

設立宣言には、「製品だけではなく、製造過程そのものを改善し、労働の質を高める」とも明記されています。これは、単なる製品デザインの向上だけではなく、働く人々の社会的地位や暮らしの質も改善しようという先進的な思想でした。

工作連盟の参加メンバーには、建築家ペーター・ベーレンスやリヒャルト・リーマースミードなど、当時を代表する芸術家が名を連ねました。こうしてスタートしたドイツ工作連盟は、やがて世界的なモダンデザイン運動の礎を築いていくことになります。

中心人物:英国の急速な都市化を目撃したヘルマン・ムテジウス

ヘルマン・ムテジウスと妻アンナ、1900年、ハマースミスのプライアリーに

ドイツ工作連盟の創設者の一人であり、中心的な思想家であったのがヘルマン・ムテジウス(Hermann Muthesius)です。彼は1861年にドイツで生まれ、建築家、著述家、外交官として活躍しました。特に、イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動に影響を受け、機能性と美しさを兼ね備えたデザインの重要性を説きました

ムテジウス
ムテジウス

ドイツの芸術は他国に比べ遅れている工芸が「伝統の模倣」なのは時代遅れ!
近代工芸は、芸術的・経済的・社会的な意義を持ち創造することが必要だ!
(講演「工芸の意義」より)

ムテジウスは、イギリスでの経験をもとに、ドイツにおけるデザインと工業生産の質的向上を目指しました。彼は、建築や工業製品における標準化と質の向上を推進し、ドイツの産業デザインの発展に大きく貢献しました。彼の著書『英国の住宅(Das englische Haus)』では、イギリスの住宅建築の美しさと機能性を詳細に分析し、ドイツの建築家やデザイナーに大きな影響を与えました。

ムテジウスの思想は、ドイツ工作連盟の理念に深く根ざしており、芸術と産業の融合を通じて、日常生活における製品の美的価値と品質の向上を目指しました

「標準化」を巡る大論争(1914年のケルン展)

ドイツ工作連盟が結成されてから間もなく、大きな議論が巻き起こりました。それは、1914年にケルンで開催された「第1回ドイツ工作連盟展」で表面化します。焦点となったのは、ムテジウスが提唱した「製品デザインの標準化(規格化)」でした

ムテジウスは、ドイツが工業生産で国際的な競争力を持つためには、「標準化」が欠かせないと強く主張します。製品の美しさや機能性を一定のルールに基づいて統一化し、効率的な生産を可能にするべきだというのです。

Q
標準化(Standardisierung)とは?
A

製品のデザインや製造方法に一定のルールや規格を設けることで、品質を安定させ、生産効率を高めることを指します。特にドイツ工作連盟が推進した標準化は、「美しく機能的な製品を大量生産で安価に作り出す」という目的を持っていました。

AEG電気ケトル(1909)

こうした標準化は、今日の私たちが普段目にするモダンデザインの原点となり、製品デザインから建築にいたるまで、広く浸透しているのです。

しかし、これに真っ向から反論したのがベルギー出身の建築家アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデでした。

ヴェルデ
ヴェルデ

過度な標準化は個々のデザイナーの創造性を奪う

芸術家の個性や自由な発想を重視し、性急な標準化によって画一的で退屈なデザインが生まれることを恐れたのです。

こうして、展覧会を目前に控えた1914年7月のケルンで、ムテジウスとヴァン・デ・ヴェルデの激しい論争が繰り広げられます。展覧会では、この議論を具現化するかのように、さまざまなデザインが提示されました。

ブルーノ・タウト『ガラスの家(Glashaus)』

特に話題を呼んだのが、ブルーノ・タウトが設計した『ガラスの家(Glashaus)』でした。色とりどりのガラスを多用したこの革新的な建築物は、機械生産時代の新しい美を象徴するかのように輝き、人々を驚かせました。また、後にバウハウスを創設するヴァルター・グロピウスとアドルフ・マイヤーが設計した『モデル工場』は、鉄とガラスを大胆に取り入れ、機能的でモダンな建築を提示しました。

「第1回ドイツ工作連盟展」は、「伝統的な職人芸」と「近代的な工業デザイン」が正面からぶつかり合う象徴的な出来事でした。論争は工作連盟の方向性を明確に定める契機となり、やがてデザイン界全体の潮流を変えることになるのです。

バウハウスとのつながり

ドイツ工作連盟の活動は、やがてヴァルター・グロピウスが1919年に創設した芸術学校『バウハウス(Bauhaus)』へと引き継がれていきます。グロピウス自身、工作連盟のメンバーであり、1914年のケルン展では『モデル工場』を設計するなど、積極的に活動に関与していました。

バウハウスは、「芸術と技術の新たな統合」を掲げ、デザイン教育の根本を革新しました。この理念の根底には、ドイツ工作連盟が目指した「産業と芸術の融合」「美と機能の両立」の思想が色濃く反映されています。バウハウスはさらにその考えを教育プログラムに落とし込み、次世代のデザイナーを育成しました。

一方、工作連盟の中心人物ヘルマン・ムテジウスはやや懐疑的な見方も持っていました。

ムテジウス
ムテジウス

バウハウスの初期は活動はやや前衛的でありすぎた。これは機能性を無視した装飾的な傾向にある

しかし、その後のバウハウスは次第に機能主義的な方向へと舵を切り、ムテジウスの理念に近づいていきます。工作連盟とバウハウスの最大の協働プロジェクトが、1927年にシュトゥットガルトで開催された『住宅展(ヴァイセンホーフ・ジードルング展)』です。ここでは、ミース・ファン・デル・ローエが指揮を取り、グロピウスをはじめル・コルビュジエらも参加し、近代的で標準化された住宅モデルが公開されました。この住宅展は国際的な反響を呼び、現代の住宅設計の礎となる「インターナショナル・スタイル」を確立しました。

つまり、ドイツ工作連盟とバウハウスの関係は、互いの理念を高め合い、現代デザイン運動を形成する大きな流れを作ったのです。

工作連盟とバウハウスが遺したもの

ドイツ工作連盟とバウハウスが目指した「美と機能の統合」、「芸術と技術の融合」という理念は、現代のデザインや建築に大きな影響を与えています。実際に、私たちが今日使っているシンプルで機能的な家具や家電製品、また、無駄を削ぎ落としたミニマルな建築物にも、その影響を見ることができます。

100年以上を経た現代でもなお、私たちの生活に深く根付いています。日常の中に潜むデザインの美しさや使いやすさを見つめ直してみると、その源流に工作連盟やバウハウスが遺した想いがあることに気付くかもしれません。

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